■The PEAKS ラウンド13蓼科EAST☆

The PEAKS ラウンド13蓼科EAST

参加者:林 (レポート)

 

今年も「日本最強!最悪!」。

多くの坂バカ達を震えあがらせる悶絶超級山岳ロングライドイベントThe PEAKSに参戦してきました!

 

 2023年秋の開催の舞台は長野県蓼科。

本ラウンドは、9月2日(土)にラウンド13蓼科EAST 9月3日(日)にラウンド14蓼科WEST という凶悪な2日間連続のダブルヘッダーで開催されました。

両方のラウンドにエントリーすると、一般エントリーX2で、2日間の合計獲得標高9,022mとなり、エベレスト(8,849m)超え。

変態・ド変態増しエントリーX2だと2日間の合計獲得標高が10,000m越え(10,142m)とメチャクチャ痺れる挑戦になってくれるのです。

 

私は、2日連続出場を悩みましたが、去年奈良吉野ラウンドで制限時間−30分とギリギリだったこともあり、ラウンド13蓼科EASTのみの一般エントリーをしました。

170km·獲得標高は4543m·制限時間は11時間です。

 

 

皆生トライアスロンが終わり、あと1ヶ月半で大会となりました。

トライアスロンシーズンはTTバイクをメインで使っているのでロードバイクに乗り換えなるべく山に行くように練習をし、なんとかヒルクライム出来る体力に戻しました。1ヶ月前に試走をしに行き、後半コースを走り、前半コースはグーグルマップやStravaでコースチェック。ガーミンに地図を入れコースミスがないように準備しました。ちなみにPEAKSにはコース案内やコース規制はありません。そしてサポートカーもないので、全て自己責任のイベントです。

 

大会は土曜日でしたので、金曜の夕方にレンタカー(ミニバン)を借りて、車中泊が出来るように枕やタオルケットも積み出発。夜の中央道、笹子トンネル超えた後の下りで前方に山梨県の町が見えてきて夜景がとても綺麗でした。

そして、スタート地点は白樺湖の先の女神湖です。東京から約3時間で23時頃に到着。

 

スタート地点すぐ横の駐車場に車を止め、すぐ寝ました。9月のまだまだ暑い時期でしたが、山の上は寒く長袖•長ズボンを履いてもひんやりしていました。

 

 

土曜日になりました。

天気は晴れ、スタートは6時です。

 

4:30くらいに起きて、朝ごはんやトイレ、ロードバイクに空気を入れ、受付に行き、スタート地点に並びました。私は第2ブロックの前方になり6:10スタートです。

奈良吉野大会のときに見た特徴的なウェアの人や見覚えのあるスタッフが居て、

PEAKS始まるぞ!という気持ちが湧いてきました。

 

 

6:10にスタート。

最初はスズラン峠までの6kmの緩やかな登り、飛ばしすぎず、同じようなペースの人にくっついてゆっくり走ります。

そして下り、最初の難所、麦草峠までの12km6%の上り、激坂は無いものの、5~10%の上りが続きます。上りきり、7km下ると最初のチェックポイント、水分補給とパンを食べ、景色が良かったので写真を撮り、あの下に見えてる街まで下るのか…と思いながら出発。ここから17kmの下り、下りきった所でチェックポイント、そして今下ってきたところを登り返し、麦草峠頂上までの24km5.5%で標高は1300mupです。

コースの途中で富士ヒルクライムを1本上るイメージですかね。途中エイドでカレーを食べ、再び麦草峠頂上に戻ってきました。下って裏スズラン峠5kmを登り返しつつ、行きと同じコースを戻り、スタート地点に帰って来て前半終了。

 

15分ほどゆっくり休憩してから後半スタート。

大河原峠までの12km4%の上り、一部道が悪い箇所もありましたが、マイペースで上りチェックポイントへ、ここから17km下り、途中にJAXAの観測所や別荘地を横目に見ながらひたすら下ります。

そして下りきった所に最後のチェックポイント。補給のバナナとジュースを食べ、再スタート。

 

 

また先程下ったところを登り返し、17km6.3%で標高は1040mupです。

こちらは最大15%の上りがあり、キツかったです。ひたすら回すことだけを考え、行きに見た景色を思い出しながらあと少しあと少しと、そして頂上に着きました。ここからは12kmを安全に下り、ゴール!

タイムは、9時間9分でした!

制限時間−1時間51分でゴール。

今回は天候にも恵まれ、楽しく終われました。(坂バカ?)

 

 

大会も主催者をはじめ、ボランティアの方々、地域のご協力のお陰で楽しく走ることが出来ました。

ありがとうございました。

 

写真は公式カメラマンに撮っていただいたものです。

 

次回参加でトリプルクラウンになるのでどこかで挑戦したいです。24年度は愛媛、新潟を舞台に開催されるようです。

 

ご興味のある方、挑戦してみてはいかがでしょう! 

 

                                   23.10.7 林 友樹

■アイアンマンバルセロナ☆

2023.10.01 IRONMAN バルセロナ☆

参加者 : 中嶋 (レポート)

 

アイアンマンバルセロナ!!

尋常じゃないほど長い作文ですが、226キロのプレイバック、お付き合いいただける方は是非お願いします!

 

バイクコースは183前後、ランは43キロ

長いわ!

もうすぐゴールだよ詐欺も甚だしい

 

目標サブ13→14:00:58(最後レッドカーペットで遊びすぎ)

スイム1:31

バイク6:33位?

ラン5:30

 

会場はユーロビートやアバのセプテンバーがガンガンに、そしてガンガンに鳴り響く中DJがさらに煽り(…と感じている)、否が応にも気分はブチ上がっていく。

 

うん、この上ないほどブチ上がる。

 

 

SUPER SUNDAY MORNING

DJのこの一声でスイムスタートのアナウンスが始まる。

予想タイム毎に並んだ列が徐々に進む。海の前に造作された薄暗いトンネル、アイアンマンゲート。ブラックライトに照らされたその中を通り抜けると、

そこは眩しい海。

 

コースはシンプルなワンウエイの3,800。私は1:20枠からスタート。いつも通りのゆっくりスタートを思いながら入水、エントリー。波は穏やか、うねりも少なくコンディションは抜群。ただ潮の流れがキツイ。のと、これほどまでにボディコンタクトがあるのかと辟易する。自分を置いといてですよもちろん

最初のブイを曲がると少し落ち着き、やっと色んなものが見えてきた。

海の中は青く光が差し、海底まで見える透明度。小さな可愛いクラゲ。自分のキャッチから出る泡や、前の人のキックに大きく小さく泡立つ気泡にすら光が透けて見える。ルミナの写真で見るような景色が、

今まさに目の前に、ある。

パックで泳ぐ圧倒的な安心感よ。半分を超えた辺りでとりあえず完泳できる手応えを得た。

 

目標より1分オーバーの1:31分でスイムアップ。

遅いけど良いんだ。まずはこの距離に戻れたことが嬉しい。

トランジションの導線、長いわ

 

 

バイクスタート。

コースプロフィールは緩やかなアップダウンの繰り返し。強い人は高速コースと言い放つ。

が、貧脚にはじわじわ脚を削るコースと思う。

 

スタートしてすぐ、幅員2メートルくらいしかない小路を通る。

スペイン娘の歓声にここでもテンション上がる。セニョリータ、やっと会えたな

小さな男の子は声援なのか叫びながら選手ギリギリまで近づく。さながらツールドフランスで見かけるような光景。 

町中を抜け、海岸線に出ると、

眼の前には小高い丘が広がりその向こうには青い空。左はコバルトブルーの海。

試走の時に見たトップレスセニョリータのいた奇麗な海とビーチか。一気にケイデンスを上げて駆け上りたくなるほどの衝動に駆られる。 

市街地に入りしばらくすると救急車やパトカー?が数台止まる交通規制。物物しい雰囲気の中、

力なく横たわる選手がその奥に見えた。 遠目にも生気のなさが伝わり、怖くて目をそらす。

危うさは自分もはらんでる。と思う。 

ワンループ目の折り返しのギャラリーコーナーは沢山の声援が飛びテンション上がる。

 

その時不意に 

「タチトラ!!良いぞそのまま行け!!」 と声援が飛ぶ。

 

誰だろう。 

思いを巡らせたが、ふと、スタート前にトランジションで高嶺さんと会った時にいたサポートの方を思い出し、その方かもと思う。

(ランの時には名前で読んで頂き確信した。)

異国の地で、はからずも聞いたその声援に、一気に胸が熱くなり、気を許すと嗚咽が出そうだったがまだワンループ60キロ。 気を取り直してこぐ。

でも涙が出るほど嬉しかった。 今思い返しても目頭側熱くなる。

 

 

途中90キロ手前で暑さなのか、調子に乗ったせいか、甘い飲み慣れないゲータレードを飲んだせいか無性に気持ち悪くなって休む。全部だな

水掛けを始めて少しは回復。

後半上げて、メーター読み184でバイクアップ。

目標6:10→6:35(180時6:20だったからまぁ許容範囲)

途中計算合わないなーと思ったが、どんだけアバウトよスペイン

 

さて、板さん以上にゆっくりT2

 

ランコースは海辺を走るワンループ14キロの3ループ。

ワンループ毎にゴールを尻目に走り出すという地獄。

これが必ずここに戻るというモチベーションを生むのか知らんが、ある意味辛い

会場付近はギャラリー満載でラテンアメリカ系の(知らんがそんな感じ)派手な声援が飛ぶゾーンと、人気もなくひたすら黙々と走るゾーンが1:3位の割合。

特に延々と続くクレー道路は気持ちを削ぐ。シューズはあっという間に小石も中に入り砂ぼこりで真茶に。 そんなコースプロフィール。 

さて、トランジションを出て走り出しすぐにまた数人の日本人に声援をもらう。

そして現地で知り合った70.6アイアンマンを完走した方も応援に駆けつけている。

高嶺さんのサポーターの方には名前で呼んでいただいた。

その後ろには大きな日本の国旗がはためいている。

 

ありがたいっす。

既に目頭を熱くする気力も無いけど

ありがたいっす。

 

このまま行けばサブ13は難しくとも、サブ13.5を目指せると勘違い

が、そんな甘くはないことに今は気づいていない。

 

 

レースナンバーを見たギャラリーからは

タチ(⁠*⁠):⁠-⁠!•§✗✯✤✢❧❢

とか

ユッキー⤴ナー↘

とか意味不明の声援が飛ぶ

 ユッキーナじゃねーしとつぶやく。

 

そんな中、ラン序盤も序盤、やっとワンループの折り返し、約8キロ地点で何回目だろうか、歩いていると後ろから腰に、そっと手を添えられた。すぐに、「ゆっくり、ゆっくりと」と、耳元で聞こえる。

 

振り返るとハイリッジの高嶺さんが伴走しはじめてくれていた。「ゆっくり、ゆっくり行きましょう。」再びそう言われながらキロ6分くらいで走りだす。自分が足をひっぱるわけにも行かないからと申し出るが、高嶺さんはいやいやと。ゆっくり行きましょうと。優しさに胸が熱くなる。

 走りながら聞くと入賞を逃してしまい、この上脚をとめると奥様に怒られると冗談まじりに話しながらもゆっくりと伴走してくれている。

エリート選手でもそういうことあるんだよなぁと思いつつ、潮の流れが急なこと、思ったよりもタフなバイクコース、そして冒頭記述した事故は正面衝突で心肺停止でAED中だったこと、いくつか事故があったことを聞く。そしてウエット買い替えて本当に安心できたこと、そんなことを話しながら2キロ位伴走してもらうが、やはり我慢できなくて脚が止まり先に行ってもらった。

この時、高嶺さんはラストラップで、だからゴール手前3キロで見送ったことになる…。

不甲斐ない。

ラン練、しなかった訳では無い。ペース走、インターバル、ロング走は必ずブリック。

でもわかっちゃいたが全てにおいて止まりクセがついていて足を止めずに走りきった練習は数えるほどだった。

 

練習の質と量を上げることもさることながら、とどのつまり自分との向き合い方を甘やかし続けたこの3年間。 それに尽きたか…と。 そのツケが今きてるんだなと。

 

 

そんなことを思いながら21キロを過ぎるとやっと先が見えてきて気持ちもポジティブになる。

しかし、ここからすれ違う人が圧倒的に少なくなる。暗い公園の林の中を走っていると自分のポジションが低いことを否が応にも思い知らされる。

 

バイク途中で白内障の手術をした左目が痛んでいたが、ラン中にだんだん霞んでくもりガラスのようになっている。

目ヤニも酷く、びっくりした。

けど、多分まだ大丈夫。

 

スイムはウォームアップ

バイクはガチレース

ランは余裕のJOG

 

そうよ、JOGよジョグ。 力を抜いて気持ちを楽にしよう。

夜のとばりも既に落ちてきた。気温も大分下がっていることもあって㌔7分前後のペースに復調。

 最後3キロはこのままのペース、絶対歩かないと決めて走る。

 

やがてゴールが近くなるとアナウンスとパーリーピーポーミュージックが聞こえてくる。

 ゴール手前の100メートル位が街灯無し

ゴールの明るさを際立てるためなのか、物理的に無理なのかはわからんが小石や段差に足を引っ掛けて危ないあぶない。

転ばないように、そして後ろに人がいないかを確認しながら、光の先、レッドカーペットに突入!

 

自分の名前、ユキヒコ ナカジマ フロムジャパン!

おー

アナウンスしてくれてるよ

後続者がいないから自分アイアンマン史上1番長くマイクパフォーマンスをしてもらえた…と思う

 

4年ぶりのレッドカーペット

 

光と大音量のダンスミュージック、興奮と熱狂のるつぼとなったレッドカーペットに戻ったことをなんとなく実感した。 

ベストパフォーマンスにはまだまだ遠いがとにかく、やった。

 

 

あらためて思うが自分だけではできない。

旅のサポート、現地で知り合えた石田さんはじめ様々な方、ラン中何度も声をかけてくれた安田さん、山平さん、サンディエゴの伊谷さん、練習に付き合ってくれたタチトラメンバー。

そして高嶺さんとそのクルーさん。 

バイクのアドバイスを個人的に度々くれたメンバー。本当バイクは成長できたかなと思う。

ありがとう。

 

そして何より同じ練習を愚直に続けた自分。

そりゃくじけたことや甘える自分に自己嫌悪することもたくさんあったけどさ。 

終わったからこそ、すべてが誇らしく思える。

これが1人でなければ達成感や感動の奥行きも増えるんだろうなと思いつつ…

ただいま現地18:29。 まだまだ明るい。  

しばし休憩。

 

そしてまだまだ続くトライアスロンライフ、

これが自分のライフワークとなるのかと思いながら、これをレースレポートとします。

そうだ、

謙虚な気持ちで、 もう一度言わせて下さい 

 

  

なげーよ 

バルセロナ

距離は優しくなかったぞ

 

 

まいっか。終わったし

セニョリータ⤴ エスカルゴ↘

■アイアンマン世界選手権 France・ニース☆

2023.09.10 アイアンマン世界選手権(男子)

参加者:謝 さん(レポート)☆

 

7年間剣を研ぎ続けてアイアンマン世界選手権に出場しました。Ironman世界選手権は、2023 年 9 月 10 日にフランスNiceで開催し、世界 93 国と地域から 2026 選手が参加しました。

私が前から立てた目標、安全第一、完走二位、成绩三位、最終時点には中国の国旗を持って完走させることが目標とし、それを叶えることが出来ました。

今、ニースから東京に戻る飛行機の中で、青緑色の地中海と空がくっきりと見え、遠くにはアイアンマム世界選手権が開催されたアルプスの山々が見えます。

 

私はこう言わずにはいられませんでした:Nice( ニース)is really nice!

 

過去 7 年間、特にこの 4 か月を隅々まで思い出しながらも、6 つの困難を忘れることはできません。

困難1、資格取得の難しさ。

トライアスロンには水泳、バイク、ランニングが含まれます。 距離に応じて、OD(51.5km)、ハーフIronman(113km)、Ironman(226km)に分けられますが、その中Ironman継続的な挑戦が必要です。

水泳3.8km、自転車180km、フルマラソン42,195km。 それぞれの項目には終了時間が定められており、Ironmanは合計17時間の終了時間となります。 これらの時間内にレースを完了できない場合無効になります。 Triathlon中最も地位とレベルが最高いアイアンマン世界選手権に出場することは、トライアスロン愛好家にとっては究極の夢です。 例年、世界選手権は米国ハワイ州コナ島で開催されました。 今年は会場が変更され、女子大会は引き続きコナ島で行われますが、男子大会はフランスのニースに移りました。 オリンピックや他の世界選手権と同様に出場資格が必要となる。 世界中で開催される Ironman大会で該当の年代別 スロットを獲得した選手だけが、最終的に世界選手権に出場するステージに進むことができます。

一般のトライアスロン愛好家にとって、長時間トレーニングを続けてアイアンマンを規定時間内に完走することは容易なことではありません(私の知る限り、現在中国にはアイアンマン完走できる中国人が約2,000人います。完走できたのは60歳以上で10人以内。 2017年に台湾で開催されたIronman澎湖では私は60~64歳の部で5位に入賞しました。 この大会では台湾選手は誰も好成績を残せなかった。 授賞式で大会のWTC代表者は「澎湖がこの大会を無事開催してくれたことに感謝するため、特別に2018米国コナで開催される世界選手権への出場枠2枠を台湾に与えた」と述べた。 世界選手権がIronman愛好家の心の中で特別理由は、レースを完走するのが難しいだけでなく、出場権を得るには十分な強さと幸運も必要だからです。 3人のマスターが出場しなかった昨年は、Ironman Malaysia langkawi Age で2位、2022年Ironman 中国男子65~69歳ランキングで1位を獲得しました。 しかし、私はまだ世界選手権への直接の出場権を獲得していませんでした。 今年の1月、世界選手権の開催地が米国のコナからフランスのニースに移った後、出場枠が増え、抽選でロールダウンし、私のグループに割り当てられた。 私は2位になったので、この世界選手権に名前で指名参加するよう招待されました。

困難2、トレーニング。私は日本に住む中国人です。ほとんどの日本人と同じように、私は退職後もまだ働いています 。私は 7 年前に日本で最初のrun+bike+run 60 年齢別第二位を獲得しました。 アイアンマン世界選手権に参加し、完走することを長期的な目標として常に考えてきました。 アイアンマン226キロの激しさにできるだけ早く適応し、世界選手権の雰囲気に適応するため、2017年に長崎で開催された五島で初めてロングを完走し、年齢別第七位を獲得しました。そしてデンマークで開催された2018年国際トライアスロン連盟のマルチ世界選手権長距離競技会にも参加しました(このトライアスロン世界選手権に参加した中国人は私だけです)。 刀を研ぐのに7年。 出場資格を獲得したので、当然、無事に旅を終えてレースを完走できることを願い、試合のために、筋力トレーニング、体力の回復、休息とリラクゼーション、栄養補給などを含むトレーニング計画を立てました。 6月に自転車1,000キロ、ランニング200キロ、水泳2万メートルの基礎トレーニングを終え、7月に運動量を調整して休養を再開、8月には東京でも35度台の猛暑日が続きました。数日が経過しましたが、それでも予定どおり高強度のトレーニングを実行しました。 自分の欠点を補うために、自転車のトレーニングを特別に強化しました。 水泳でインターバルしたり、自転車で坂を登ったり、ランニングで全力疾走したりするたびに息が切れていましたが、平日にもっと疲れていれば、競技での負担を減らすことができるとわかっていました。 私は常に喘ぎ声をあげるまで練習することがよくありました。なぜハードにトレーニングするかというと、3日泳がないと息切れする、3日走らないと足がだるくなる、3日自転車に乗らないと曲がれなくなるからです。 科学的かつ合理的なトレーニングを遵守することが、私が怪我をしないことを保証する主な理由でした。

困難3、ビザの取得。アイアンマン世界選手権は高級でちょっと贅沢な大会です。 スペックは高く、選手の質も高く、登録料やホテル代もバカ高い。 (エントリー费USD1,400ホテル1泊約40000円) ビザの取得に東京のフランス大使館に行ったとき、アポステーユ付きの住民票、それは日本の外務省に行って書類を認証してもらう必要があると言われました。しかし次回のビザ予約を取るには大会が終了する10月以降となっていました。日本ではビザを取得する見込みがないと判断し、母国に戻ってビザを申請しようと思ったのですが、ビザの予約をするには11月まで待たなければならないことが分かりました。 絶望的になっていましたが、なんとかそれまでに予約が取れるよう、毎日大使館のビザ予約日の確認をし、8/18にようやく面接の機会が得られました。 ビザ担当官に再び会ったとき、彼女はアイアンマンのという競技を始めて知り、私が観戦するために旅行に行くのではなく、参加するために行くのを知り、非常に賞賛の意を表してくれました。出発前にビザを取得できるよう、あとは追加資料の提出をするようにと提示され、最終日的には、ギリギリ出発2日前に無事ビザを取得することができました。

困難4、健康診断。出場者は健康診断報告書と参加に同意する医師の署名、ワンデーライセンスというものを提出する必要があります。 健康診断報告書をもらうことは難しくありませんが、試合に参加できる許可を得て医師のサインを取るには非常に困難な事です。4つの病院や診療所に行きましたが、責任を持って引き受けてくれる医師は一人もいませんでした。 ようやく天津中医薬学院と協力関係のあるクリニックに何度も事情を説明して、ようやくサインがもらえましたが、思いがけず、医師のサインは令和5年に署名され、アイアンマンの公式サイトではこの"令和"記載が認められないというハプニングが起きた。 

離陸2日前までにはステータスがまだパスできず、"鍋の上のアリ"(中国語の比喩語で非常に焦るという意味)のように不安でした。 連絡先も無いまま他の状況証拠や補足情報を提出して気長に待つしかありませんでした。私はネガティブな思想に陥り、今まで支払った費用が全て無駄だったし、4ヶ月間の苦労も無駄になったと思い込み始め、2日で健康診断報告書をもらえる病院なんてあるわけがない、と。しかしついに、出発の 2 日前に、ステータスがパスした緑色の状態となり、ようやく出場の準備は万端になりました。

困難5、水泳。

大会当日の朝5時の水温は24.8度で、規定Wet-suitは24.5度以上では着用できないと定められている。 ここ数日の朝は気温が 24.5 度を下回っていたので、Wet-suitを着て、サイクリングとランニング用のトライアスロンスーツを T2に1 日前に置く準備をしていました。 規定により、そのエリアには二度と立ち入ることはできません。 Wet-suitを着て出場できないこと、トライアスロンウェアを取りに行くこともできないこと、そして競技時間が迫っていることを知ったとき、とても不安で仕方がありませんでした。 幸いなことに、それを知ったフランス人の青年が、「ルールに反して」私のためにトライアスロンスーツを出してくれて、この緊急事態を解決してくれました。 組織委員会が何人かの若者の中に年長の2番目のグループを入れるためにどのような「変わった作戦」を行ったのかはわかりません。 人が少ない左側から入水したので、距離的には若干ロスしたが、後ろの若者との「白兵戦」は避けられた。 水中では、若者たちが足を何度も蹴り上げ、魚のように私の横を泳いでいるのが見えました。

 泳ぎは着地なしで1周3800メートルの「M」字型。

こんなに低い水温Wet-suitなしで泳いだのは初めてでした。 私の体脂肪率はわずか5.5%で、暑さは苦手ではありませんが、寒さは苦手です。

水温が低かったため、800メートルくらい泳いだところで右太腿のハムストリングスが痙攣し、速度を落として自由泳ぎから平泳ぎに切り替えなければならず、泳ぎは非常に長く感じ大変でした。 1時間以上浸かっていると、体がどんどん冷えてきました。 ゴールまであと数百メートルというところで、強い風が吹き、波が立ち、地中海の水を一口飲んだところ、塩辛くはなく、少し柔らかな味わいでした。

こうなったら残りは何としても歯を食いしばって粘り続けるしかないと思いました。ようやく完泳し、着陸後、ボランティアたちは私の体全体に白い粉を厚く塗ってくれました。今思い返してみると少し怖くなります。水温が低くて長時間体温が下がっていたらどうなっていたでしょう。

選手が非常に多くライフガードも少ないので、何かあった時どうなっていたでしょう。今振り返ればやはり危険です。

困難6 、バイク。

ニースのサイクリングコースは危険であり、高度な技術を必要とすることで知られています。 その後、一緒に帰国した青年は、普段は下り坂なら時速70~80キロで走れるのに、今回は時速60キロ以上のスピードで走れたと話していました。最も速く走ろうとはしなかった。 全長180キロのニース・サーキットは総標高2,400メートル、カーブやS字急カーブが多く、片側通行止めはありません。 リスクが大幅に増加します。 レース後、空港に向かうバスの中で聞いたところによると、その日は90キロ地点で事故が発生し、ある选手がスピードを出しすぎて急旋回せず、崖に衝突して頭部を負傷し、病院に運ばれたまでとなったようです。寒い中走り始め、タイマーが時速30キロを超えたと表示したとき、寒さでハンドルを握ることができなくなりました。 8キロくらいで最初の16度くらいの登りが始まり、距離はそれほど長くないのですが、坂がきつく、道も狭く、カーブが多いので、体を起こしてバイクを左右に揺すって、少し力を入れるとまた足がつってしまい、速度もどんどん遅くなりました。 この時、私の後ろから入水してきた大群があっという間に私を追い抜いていき、時折「シューッ、シューッ」という追い越しの音が聞こえてきました。 安全のためスピードを落とし降りて自転車を押しているところ、後ろから追いついたプロの人が私に助けが必要だと感じたのか、「Are you Ok?」と声かけてくれました、私は「I am fine. 」と返事しましたが、バイク180キロ始めた時点で自転車を押す人がどこにいる!?と自分に突っ込みたくなりました。乗り始めた時点で太ももがつるとは思っていませんでしたし、今まで経験したこともありませんでした。

 途中から16キロの登りが続く区間に入り、平均速度は時速25キロからわずか17キロまで落ちた。 困難な道路状況に直面して、ライドの終了時間を計算する必要がありました。 どのような状況であっても、シャットダウンしないようにするには、少なくとも平均時速 21 キロメートルでこぐする必要があると思いました。地中海の気温は予測できません。正午近くになると気温はますます高くなり、登りはますます急になり、体力はますます低下します。大腿部のけいれんあり、ゆっくりとしたライディングをせざるを得ませんでした。日本でのレースでは左側通行に慣れていたこともあり、左側通行を走っていたら途中主審から警告を受けたが、幸いイエローカードは出されず、5分間のペナルティがなく済めて良かったです。とても怖かったので、二度とセンターラインを越えようにとライティングを続けた。約 115 キロの地点でようやく登りが終わり、景色が限りなく広がる危険な山頂に到着しました。左側は断崖、右側は奈落でした。その横のガードレールの高さは 0.5 メートルにも満たせませんでした。注意を配りながらブレーキを再度確認し、下り坂ではスピードと安全性のバランスを常に考えて走行していました。急な曲がり角に向かう途中で、一息つくために立ち止まっている若い男性に最終Cut -off時間と場所を確認しました。彼は、後ろにはまだたくさんの人がいると言い、終了タイムは129.6 キロののところで、時間は午後の4時55分と教えてくれました。とはいえ、ライディングの最終Cut-offの1時間ちょっと早く通過してしまいましたが、やはり心配でした、水泳と自転車の制限時間は10時間30分(cut-off )で競技終了になると覚えていたからです。この時点でゴールまではまだ50.4キロありました。私は7時3分に水泳を初め、Cut-off時間の17時33分までにはまだ2時間ありました。Cut-offさせないように私はこの時間内に最後の50キロを走らなければならないと思いました。自転車ステージの最後は20キロを超える下り坂、安全を確保した上でゴールまで10キロのところでエイドステーションに寄り、何か食べようと思って時計を見たら、17時10 分になっており、残り時間も少なく、休むこともできず、水も一口も飲まずに一気にゴールまで向かいました。17時30分にT2の更衣場に入り、靴紐も結ばずに急いで更衣場から出て、ランニングの場所に入り、タイムを確認すると17時36分となっており、アイアンマンの規定によると私はもう既にクローズとなっていました、若干の不安を抱えながら走り出すと、すぐに知人に出会った。 彼は確信して私に言いました、ニースの自転車コースが難しいことで有名なため、組織委員会がこの大会の水泳と自転車の制限時間を20分延長して、Cut-offタイムを10時間50分に変更した教えてくれました、それ聞いた後、私はやっと心配がなくなり安心しました。

 

上記の困難を乗り越えて、それと比べるとランニングのほうがずっと楽でした。

私の目標は完走メダルを獲得すること、

ゴールまではまだ6時間以上あったのであとは非常に走りやすかったです。

今年の4月に11時間22分26秒で100キロを走った後、翌日腰や足が痛くならなかったとは誰も信じないでしょう。

このような走力と自信を持って、あとのレースはエンジョイできるようになりました。補給所で少し休憩し、ジョギングをしながら地中海の異なる美しさを楽しみ、左側には赤と黄色のヨーロッパ風の建物、右側には紺碧の地中海、

そして両側には親切で熱情的なフランス人が続けるように励ましてくれます。

 

“Yang, Looking good! You can make it !

私は心の底で

”Yes,I can make it.”

         と聞かせた。

https://download.finisherpix.tv/video_download/6688/426

 

↑僕が写っている試合のビデオです

 

感謝:

まず第一に、私が最も感謝したいのは、理解とサポートをしてくれた家族です。

特に次女の努力と助けがなければ、この試合に参加する事はできなかったでしょう。

次に、私を気にかけてくれた兄に感謝します。

 

「ルールに反して」私のためにトライアスロンスーツを取り出してくれた無名のフランス人にも感謝したい。 彼がいなかったら、私は水に入って競争することさえできなかったでしょう。

 

また、タチトラの皆様、

一緒に練習をしてくれた方々、

ご指導をして頂いた日本にいる友人の方々にも感謝を申し上げます。

過去 7 年間に渡る皆様の粘り強さと努力に改めて感謝いたします。

トレーニングプランを提供してくださった グローバルトライアスロンにも感謝を申し上げます。

 

 

 

夢のアイアンマン世界選手権出場、実現して人生に後悔はありません。

今後は家族ともっと多くの時間を過ごすつもりです。 近年は体力を回復するために自宅で静養し、

将来またいつか、再びアイアンマン世界選手権に出場し、3枚目の世界選手権のメダルを獲得させます。

その時には3人の孫娘が私の隣に座り、メダルをぶら下げながら僕、

祖父の昔話と60歳以降のトライアスロンストーリーを聞いていることでしょう…。     

 

                                                            ————初稿、ニースからドーハに向かう途中

■第41回 全日本トライアスロン 皆生大会☆

■第41回 全日本トライアスロン皆生大会

2023年7月16日(日)

 

鳥取県で行われた全日本皆生トライアスロン大会に初めて出場しました。

「トライアスロン発祥の地」の大会であり、コロナ渦後の昨年の距離短縮デュアスロンから今回は従来のほぼフルスペック(スイム3k、バイク140k、ラン40k)に戻った、「灼熱の皆生」大会でした。

 

大山を臨む変化に富んだコース、町全体での声援、子供から大人までエイド等でのボランティアの方々の手厚いサポートには、体だけでなく心も熱くなる、そんな素晴らしい大会でした。

 

・参加者  ちはらさん、千葉さん、林さん、村山(レポート)

・天候:晴れ 最高気温36度

(大会前日)

新幹線で岡山へ。

そこから特急「やくも」を乗り継ぎ7時間ほどかけて午後1時すぎに

米子駅に到着。

 

特急「やくも」で食べた駅弁「いいとこ鶏丼」は安くて味もかなり旨かった。

(気に入って帰りの車中でも食べました)

 

 宿泊先のホテルは駅前のホテル。

周辺にはコンビニや居酒屋、食事処もあり便利。チェックインを済ませ、バイクが届いている事を確認して受付・開会式のある米子コンベンションセンターまで徒歩で向かう。

 

10分ぐらいとここも近い。

近くにはスーパーイオンもあり、食事の買い出しには事欠かない。 受付を済ませて開会式に。

コロナ前以来のちゃんとした開会式。

 

進行役の大会運営の方から

「明日はかなり暑くなるようです。数年前にもかなり暑い大会で、150数名がDNFした大会がありましたが、今回はそれを上回るかもしれません。皆さん、これを更新しない様、くれぐれも気を付けて、頑張って下さい!」とコメントがあり、ビビらされた。

 

当初は順位も意識していたが、完走第一を優先、と心に誓う。

 

開会式後はイオンで夕飯と当日の朝飯の買い出し。式が終わった直後で食品売り場は参加者でごった返していた。水、おにぎり、パン、うどん、インスタント味噌汁、バナナなどエネルギー &消化良好なものをさっと購入し、退散。    

ホテルに戻って早速バイクの組立。宴会場に 置かれており、エアコンも効いているので作業もスムーズ。昨年の佐渡のようにDi2が断線していたようなトラブルもなく、無事に完了。

その後、部屋に戻って夕飯、ウエアの準備、補給食の準備 を行って10時ごろに就寝。 

(当日)  

3:30に起床。

朝食は前日購入のうどん、インスタント味噌汁、バナナ+持参の羊羹1個。着替え、トイレを済ませて4:30にスタート会場へバイクで出発。5時ごろ会場に到着し、バイクをラックに セッティングして補給食とドリンクもセッティング。

ドリンクはフロント(TopSpeed+水+経口補水パ ウダー:700mg)、ダウンチューブ1(粉飴300mg+水+クエン酸+ジュース少々:700mg)、ダウ ンチューブ2(水;捨てボトル)、補給食はエネ餅3、羊羹3、ジェル3、梅干し2-3個をトップチュー ブに取り付けた。

ところが、フロントのボトルの締まりが悪く、ドリンク漏れが発生。

かなり使いづらい ボトルだったので心配していたがやはり、という感じ。

仕方なくダウンチューブをメインとし、フロント はサブ程度で使う事に決めた。  

スイム会場に入って試泳し、その後スタートまで待機。既に気温は30度超えでかなり暑いが、風は無く、泳ぐコンデションとしてはベストに近い。

スタート前に運営本部から「皆さん、ノーバトル宣言 しましょう!自分の手足が当たったら「すいません」、逆に当てられたら「ありがとう」の気持ちで!」と 言われ、皆こころ穏やかに、安心のスイムをお願いします、と祈りつつスタートを待つ。

 

スイム(3K

7:00にスイムスタート。

コースは沖に250mほど進んだ後、岸と平行に1kmぐらい進み、岸に向かって250mほどで一旦上陸し、再び折り返す片道1.5k×2=3Kのコース。海は綺麗だがノーバトル宣言は?というほど 往路はぶつかりながらの スイム。泳ぎ初めのパニッ クも重なりいつも通りの不安なスイム。 だが、ぶつかり合いながら泳いでいる内になんとか収まり一安心。

岸と平行の区間には数百m毎に大きなブイが立てられているが、若干岸から(沖から?)の風があるのか蛇行していて見えづらく、 流れに任せて進んでいる感じであった。往路上陸 時点で28分、自分として は上出来だった。

復路は、太陽がまぶしく、更にブイがみづらくなった。時折、監視員のカヤック? がブイに見えてしまい、そちらの方向に進んでは度々コース修正を強いられたが大きなトラブルは無くスイムアップ。やはり復路が遅かったが、前半同様、上出来。

しかし相 変わらずトランジッションが長く、もたつきのバイクスタート。

◇バイク(140K)

エネ餅を1個、ジェル1個補給してスタート。最初は河川敷の土手を通るほぼ平坦なコース。補給固形食、ドリンクは20-25分毎に補給する事とし、エネルギー不足になったり、前回の佐渡のような熱中症、腹下しをしないよう、少量ずつ、こまめにとる事に努めた。

平坦コース、小さなアップダウンを抜けると、国道をくぐる地下道を降車して歩いて渡る。

皆生なら ではのコース。

その後はいよいよ登り。大きなアップダウンのあるコースは長崎五島のようなジェット コースターのように急激な下りと上りを繰り返す。

下りで勢いをつけて上りを登ると楽に登れる、はずなのだが、この辺りからやはり暑さがきつく、

パワーが出ずに勢い付けて下りる事が出来ない。給水所ではボランティアの子供たちから水かけやスポンジなどしてもらい、水入りボトルを受け取るなどしてその都度生き返るが、すぐに暑さでパワーが出なくなる、という繰り返しだった。その内、また腹の調子が悪くなり、60kmほど進んだ先のASでは早くもトイレ休憩を挟んでしまい、大幅タイムロス。  

その後も、大山がくっきりと見え る程天気も景色も良いコースなのに、それらを楽しむ余裕はなく、ひたすら目の前の坂を漕いでこなす、いう具合。 途中、折り返しで戻ってくる千葉さん、林さんとすれ違ったが、手を振る元気もなく、眠気と目がシバシバする状況が続いていた。  

ようやくたどりついた折り返しのASでも頭からザブザブと水かけしてもらい、ボランティアのおばちゃんの温かい言葉に励まされながら残り50Kをクリアする事だけを考えていた。

補給食も後半は固形物はほとんど摂れずジェルのみ。 ようやく河 川敷の土手平坦コースに戻ってきた時は、これでバイクが終わる! でも未だランがある!!という安堵と疲れの入り混じった微妙な感 覚だった。  

そして、やっとのバイクフィニッシュ!

時間は、、、  6時間を大幅超え!?かなり時間が。。  ゴール できるのか。 

ラン(40K)  

バイクをラックに置き、ランバックを取って更衣室テントに向かう。日陰で着替えられるのは有難かった。

ウエアをタチトラウエアに着替え、シューズを履き替えて補給のジェルを流し込む。

これから40K、、長いなあ。。

制限時間に間に合うかな、またDNFかな、と思いながら、のろのろと更衣室テント を出、

水分補給をしてスタート。

この時点でもうすぐ既に3時だが、まだまだ暑い。    

 

最初は街中を走るコース。信号が途中途中にあり、その度に木陰、建物の影に入ってレスト。だが街中なので沿道からの応援が熱く、歩いている人、すれ違った車の中からも「頑張って下さい!」

「頑張れ!」の声援があり、歩いては居られない。でもお店やGSでもミストを出してくれている所が多く、そこでは遠慮なく体を濡らす。 給水所ではボランティアの小中学生が「頑張って下さい!」の元気のいい掛け声とともに、「水かけますか?」「スポンジいりますか?」など一生懸命サポートしてくれ、それに応えて水かけ、スポンジ、水分補給、そしてジップロックに氷を入れ、体を冷やしながら前に進んだ。途中、陸橋や地下道など、これも「皆生ならでは」のコースを走る。

幸いアップダウンはあまりない事、ジップロック氷を胸に入れて走るのが良かったのか、ペースは遅いが一定ペースで進む事が出来るようになった。腹の調子も少し収まってきた。

 

 

7-8K走るとようやく信号無しコースとなり、その後海岸線の直線コースとなる。ストップ&ゴーは無いが日陰がなく、日差しが厳しい。海岸線直線コース手前のASで、また千葉さんとすれ違い。今度は手を振る事ができた。千葉さんは残り約10K、自分は残り30Kとかなり状況は違うが。

ここからはひたすらマイペース。500m-1K毎にある給水所では塩分・水分補給、水かけ、ジップロック氷を貰って走る、これが良いターンとなっていた。  

ところが、しばらくするとまた来た、お腹がゴロゴロ。。

これで腹に力が入らなくなりペースダウン。

ようやく折り返し地点を過ぎた先の給水所でまたトイレ休憩。この時点で5時45分(2時間45分経過)。その後は往きのターンを繰り返しつつ、でもペースは思ったほど上げられず8分/k強でじわじ わと進んでいく。日差しもかなり落ち着き、照り付ける暑さはなくなったが体の芯の暑さが未だ残っている感じで、氷入れ作戦は続けていた。

復路の海岸線直線コースでちはらさんとすれ違い、エールを交わす。 行きで渡った地下道を再び通過し、35K時点のASで「制限時間何時ですか?」と聞いたら「ここが あと1時間以上後にリミットだから大丈夫でしょう」と言われ、ホっとする。ようやく終わりが見えてきた。

最後は踏切を渡って川沿いの小道の直線コースをひたすら走る。既に真っ暗になっているが、これまでにないくらいのスピードで走り、最後のトイレ・給水所で「残り2K」と言われ、ますますスピードアップ。が、いけどもいけども「残り2K」が変わらない。

ガーミンでは既に40Kのはずなのに、と思っていた所でまたしても地下道?そしてその先に、、

ようやくゴールである陸上競技場が見えた。

中に入るとトラック周りには大勢の人が、そしてゴールのライトアップも。

トラック周回での先にゴールが見え、スタート前にバイクチェックで話したマーシャルの女性の方が 「おかえり!」と声掛けてしてくれ、少し感動、ようやく終わる事を実感した。

ゴールテープを切った時は「終わった!帰れて良かった。」という気持ちが正直な所だった。

距離は+1Kの41K、時間も13時間を大きく超えてのゴールだった。

今回は932名の参加者中、完走者は626名という300名以上ものDNF。

過去のDNF人数を大幅に更新してしまった大会となり、近年まれにみる過酷な大会だった。

 

そんな過酷な大会を(記録はともあれ)完走できたのには、今後のロング出場継続の自信になった。

また、この感想は、遅くまで多くの子供たちをはじめとするボランティアの手厚いサポート、沿道など の町を挙げての声援、しっかりとした大会運営があったからこそだと感じている。

 

ありがとうございました。

 

そんな素晴らしい大会なので、心身共に暑く、熱くなる大会が大好きなあなた、

       参加してはいかがでしょうか。    おまけ:翌日の回転寿司(美味かった!!)          

■はつかいち縦断みやじま国際パワートライアスロン大会2023 FINAL  ( 愛称:WoodMAN )

■みやじま国際パワートライアスロン大会 FINAL

2023年6月18()

参加者 村山さん、石原(兄)さん、若月()、稲守薫(レポート)

 

天気 曇り時々晴れ 

気温最高31℃ 水温20

 

みやじま国際パワートライアスロンに参加してきました。

スイム2.5km1.5kmに短縮)バイク55km、ラン20kmのミドルディスタンス。

ワンウエイのコースでスタートから登っていくタフなコース。

広島に厳島神社の鳥居をくぐってスイムスタートする大会があり、今年が最後の大会になるとのこと。出てみたいな、と思っていたところに娘若月(ゆ)からの誘いがあり、エントリーしました。

土曜日の朝一番の飛行機で出発して900にはバイクを届けていたホテルに到着。

バイクの点検のためメカニックがいるT1に向かいます。

驚いたのは、T1に行くまでに500Mほどの長い坂道があったこと。途中でランシュー置き場があって、必ずシューズを履かなければいけないというのも頷けました。

 

ゆりかのバイクのハンドルが曲がるというトラブルが発生。早速メカニックに修理をお願いしてとりあえずレースには出られる状態にしてもらいました。メカニックの方には感謝です。そのままバイクは預託することに。

メカニックに予想以上に時間がかかってしまいましたが、スイム会場を下見することに。

例年は厳島神社の鳥居からスタートで対岸まで2.5km泳ぐのですが、今年は大野沖を周回するコースでさらに1.5kmに短縮です。透明度はあまり良くはなく、栄養たっぷりの緑色をしていました。(沖合に牡蠣の養殖いかだもずらりとならんでいましたし)

受付は、フェリーで10分ほどの厳島に渡ります。フェリーの乗車券と厳島神社の拝観は無料でした。10分ほどで着きました。受付前に厳島神社を参拝したり、参道を散策したり、レース前でなく観光に来たよう。受付の後は、宿に戻り食事をすませ明日の準備をして、早々と就寝しました。

 

レース当日、この日は曇りがちのお天気。

予報では午後は晴れ模様。

6時過ぎには会場に到着。

バイクに水や補給をセッティングしてスイム会場へ。

 

スタート地点ではなくゴール地点で試泳です。

スタートはどこなのかこちらからは見えません。

水温は冷たい!20℃ですけど足先から冷え冷えです。私は、冷えにとても弱いのです。

ここでウエット地の靴下を履きました。前日受付の時、大会審判長にお伺いをたててOKをもらっていたので大丈夫です。足先は暖かいですが少し水も入ってくるし足先が浮いてしまうので全然キックがうてません。それでも冷たいよりはマシです。

 

スイムの泳ぐ順番は、早い人、若い順で帽子の色が分かれていました。ここでゆりかとは別れ別れに。多分ゴールでしか会えないだろうな。

一人になってココロ細くなっていた時に石兄さんに会い、話かけていただいて緊張感が解けました。

スイムスタートは1210秒間隔のローリングスタート。あとから聞いた話で、一番目のグループの選手は立ち上がってジャンプして足から入水していたようですが、(頭からの飛び込みは禁止)はずみでそばにいたスイム担当のTOの方も水中に落ちてしまったとのこと。本当に申し訳ないのですが、まるで漫画のようだったと目撃した人から聞きました。

スイムで緊張していた選手はとても和んだそうです。

 

そんなことがあったことも知らず、初めてのポンツーンにビビリまくりの私は、ガーミンのスタートを押し忘れてしまいスタート。

足からそろそろ入水しましたが思いのほか水中に沈んでしまいあたふたしている間に、同時にスタートした人たちは遥かに先に。

気を取り直してヘッドアップしてブイを見ようにも、ブイがどれだかわからない。

レスキューの帽子の色なのかブイなのか、仕方がないので人の群れの方向に向かいました。

人がばらけているのでバトルはないけど相変わらずブイがどれなのか分からない。

波もあるわけではないのだけれど泳ぎにくい。潮の流れがあったのですね。それでも練習会の成果もあってしっかりヘッドアップして折り返しのブイが確認できました。そこからゴールまでどのくらいあるのか、いったい自分がどのくらい泳いでいるのかわからないまま、前の集団が同じ方向に泳いで行っているのを見てゴールが近いのがわかりました。そしてようやくゴール。

あとでリザルトを見ると04140482位)どのくらいたくさん泳いだのでしょうか。

ウエットの上を脱ぎシューズ置き場に向かい、靴を履きT1までの長い坂道を小走りで登っていきました。ここでの応援がすごい。まるでゴールフィニッシュのようにたくさんの人が応援してくれます。

 

 

残っているバイクが少ないのを見て少し焦りつつバイクスタート。

バイクコースは55kmとミドルにしては短いですが、高低差850mあるコース。

山に入るまで住宅街を抜けていくのですが、ここでの応援も賑やかでした。

大人から子供まで大きな声で応援してくれるので、こちらも「ありがとうー」と答えて山に向かっていきます。

 

ゆるい登り下りを繰り返しながら傾斜が徐々についていくのを感じ、これがどのくらいになっていくのだろうかとドキドキしながら漕いでいきました。

次第に傾斜がきつくなっていき本日の大ボス、所山の坂。

頂上付近に3つのつづら折りがあり、足をついたらもうバイクに乗れないなんて噂もきいていました。

確かに険しいし長い。折り返しのところに応援の人があと○○メートルと看板を掲げて応援してくれています。

ランナーズハイじゃないけどローディーハイ?苦しいけどなんか楽しい、なんておかしなことになっておりました。頂上についた時は、それはもう嬉しくて、ガンガン飛ばしたいところですけれどもここは慎重に安全第一で、ブレーキを掛けつつ下ります。

登りで抜いた人にいったい何人抜かれたことやら。

それでも下りは、らくちんで気が付けばバイクフィニッシュ。31035426位)

 

バイクを降りると、レースナンバーを確認したボランティアの子供たちがランの道具が入った袋を持ってきてくれました。

この暑い中一生懸命に選手のためにやってくれて本当にありがたい。

ランの前にエイドに立ち寄りもぐもぐタイム、漕ぐのに夢中になっていて補給をとっていなかったのでサンドイッチやアンパンを口に放り込みランのスタートです。ゆりかはもう少しでゴールかな。長くお待たせしないよう頑張ろう!最初は、足が重いですが慣れてくればいつものように走れる!と自分を奮い立たせてたんたんと走りだします。あとで聞いた話ですとおおよそ平坦5km、登り7km、下り5km、平坦3kmというコースだった様です。

 

足が回るようになったころから始まりました坂道祭り!道は緩い山道から始まりだんだんと斜度を増します。小沢峠を登っていく感じ。このレースバイクコースの山道が有名ですけど実はランも半端なかった。心を無にしてひたすらヨイショと登っていきます。

折り返しで戻ってくるに立トラジャージを発見しました。村山さんでした。

声をかけると手を振り返してくれました。自分の進んだ距離から考えると村山さんはもうすぐゴールですね。私もがんばるーとひたすら登っていきます。

ようやく折り返しのもみのき森林公園が見えてきましたがもうすぐ折り返しと思いきやさらに2kmほどありここは本当に辛かった!

折り返しで輪ゴムをもらい、森林公園の入り口に戻ってからその先はずっと下り。

自然に加速してしまいますが、ここで転んだら大変!スピードをあげながらも転ばないよう、また足をひねったりしないよう細心に注意します。

 

足がパンパンになってきたころようやく下りはおしまい。

あとゴールまでちょっと。

がんばれ、あと少しという沿道の声に力をもらいようやくウッドワン美術館の駐車場が見えてきました。

そしてゴール。1時間以上前にフィニッシュしていたゆりか、村山さんがゴールで待っていてくれました。

大変お待たせいたしました。石兄さんもすでにゴールしていて立トラのメンバーは全員完走です。

辛かったけれど楽しい大会でした。 ラン2:6:20231位)

                 トータル55835348位/573名)年代別(1位/4名)              

                                       女子少ない!

大会主催者側でバイクをバイクフィニッシュからT1までトラックで運んでくれたので、選手はフィニッシュ後T1行のバスに50分ほど揺られて戻りました。

バイクをピックアップしてようやく帰路につきました。

疲れるし辛いけど癖になっちゃうような大会でした。でも今回で最後とのこと。

残念ですがまたいつの日か再開催される日が来れば参加したいです。

最後に大会運営、ボランティア、応援してくださった方々、ありがとうございました。

 

レースでご一緒させていただいた皆様、

お会いできて元気100倍でした。

 

そして練習会でお世話になった立トラの皆様、送り出してくれた家族の皆様、

心折れそうになった時に支えになっておりました。ありがとうございました。

 

■第8回 びわ湖トライアスロンin近江八幡

2023625

8回 びわ湖トライアスロンin近江八幡

出場者 (レポート)

 

滋賀県の琵琶湖で行われた、びわ湖トライアスロンin近江八幡に出場してきました。

 

JTUの公式ODの大会で、

スイム1.5km→バイク40km→ラン10kmの計51.5kmとなります。

また、25年の国体でも使用されるコースだそうです。

 

 

今回、小学生の時にトライアスロンを勧めてくれた母と初めて一緒に出場するレース、また初関西でのJTUレースで楽しみにしていました。母は以前からランニングはしていましたが、私と弟が社会人になるタイミングで3種目を練習するようになったそうです。

 

受付と選手説明会が前日にあるので、それに向け、輪行で中央線、新幹線と乗継、東京→米原まで移動しました。米原からは大阪から来ていた家族の車に乗せてもらい、会場入りをしました。受付を済ませ、説明会まで3時間程あったので、びわ湖沿いまで行き、刺激がてら5キロ程ランニングをして、また説明会へ、トークショーでは山本良介選手やパラの宇田秀生選手、佐藤圭一選手の話が聞け、MCの盛り上げ方が上手く面白かったです。

 

 

レース当日、スタートは9時。7時前に会場入りをしました。トランジション準備、試泳をしました。水温が5時時点で21℃、朝は日差しが少なかったので水がかなり冷たく感じました。

 

スタート整列前に、母が、

『一緒にスタートラインに立つことが夢だった』と言ってたので、それが叶って嬉しかったです。

 

今年から400人一斉スタートということで、25分以内、30分、35分、それ以上のブロックで整列し、私は30分以内のブロックに入り、前から3,4列目に位置取りをしました。スイムは750m2周回です。

スタートが鳴り、一斉にスタートします。

バトルを極力避ける為に少し外よりで泳ぎますが最初は叩かれたり、足を掴まれたりしましたが、水曜練習会で集団泳をしていたので、焦らず泳げました。

 

2つ目のブイを超えたあたりから、ペースを掴め、毎回ヘッドアップをして、泳ぎました。1周目は1440秒くらい、2周目は人がバラけバトルは無く無事に泳ぎきりました。タイムは2956秒でギリ30分以内でした。透明度はありませんが、波もほとんどなく穏やかで泳ぎやすかったです。

 

バイクは、スタートから/ゴールまでの7km区間はアップダウンやカーブがありますが、他は田んぼ道の約5km5周回です。コースは、高級近江牛の牛小屋がたくさんあり、防疫対策で試走禁止、レース以外では立ち入り禁止だそうです。それもあり、1周目は様子見で、それ以降は目標平均速度を保つように走りました。追い風区間は速度を速めて、向かい風区間は速度を落とし一定ペース/パワーを心掛けました。景色はずっと田んぼでしたが、道幅が広く走りやすかったです。

  

ランに入ります。ランは、2.5km4周回。平坦ではなく、一部アップダウンがあります。

 

タテトラに出た時より速く走れたらと思い、445秒ペース前後で刻み、2周目からは、大阪のチーム仲間の方が追い付いてきたので食らいついて走りました。

 

3,4周目で、母もランパートへ入ってきて、すれ違いで声を掛け合いました。

残り2kmくらいで余裕があったのでペースを上げてゴールしました!タイムは4625秒でした。苦手なランでしたが、今回は気持ちよく走れました。

 

 

 

■2時間3447

92/390

 

25-29歳の部 8/14

swim 29'56(140)

bike  1'18'26(107)

run   46'25(82)

 

気温2227℃、水温21(5)

 

 

 

一緒に出ていた母もゴール()

 

家族の応援や仲間の応援、

たくさんの沿道の応援、

大会関係者やボランティアの方々のサポートがあり、楽しくレースが出来ました。

 

ありがとうございました。

 

 

■アイアンマン70.3東三河ジャパンin渥美半島

大会名:IRONMAN 70.3 JAPAN HIGASHIMIKAWA ATSUMI PENINSULA

☆初ミドル

日時:2023年6月10日

参加者:中島さん、エイト小林(レポート)

 

タチトラ2年目、昨年はオリンピックディスタンスに参加したため、

2年目の今年はミドルに挑戦です。

今回は初のミドルということで、完走が目標です。

 

さらにIROMNANということでテンションは上々です。

また、今回絶対にリタイヤはできない理由は最後に、、、

 

今回はたくさんの出会いもありました。

とりあえずエントリーをした後、自分がどのくらいのペースで行けるのかを検討するところから始めました。

 

制限時間は8h。

まずはSWIM:1.9km。70分で足切りなので、結構厳しいです。

昨年のODでの1.5kmが45minほどだったので、1.9kmは目標を60minとしました。

SWIMレッスンにも通えなくなった後、なんとか週2~3回の自主練は続けてきましたが、今期ウェットスーツでの泳ぎはぶっつけ本番です。

 

次にBIKE、90kmはレースモードでまともに走ったことがなかったため、多摩川沿いでの羽田往復試走91kmを行いました。

本番レースでもあまり起伏が無いということだったので、、

羽田往復は途中信号もあり、4hほどだったので、レース本番では3.5h程と見積もりました。

 

続いてRUN。 21kmのハーフは、今年の3月に立川ハーフマラソンで初めて走った距離。

このときは、2hがギリギリ切れなかったため、目標を2.5hと見積もりました。

今回2回目のハーフ。。。

それから、T1とT2がそれぞれ15minとすると、Totalで7.5h。制限時間8hなので、なんとかなるだろうとちょっと安心。

 

今回、初めてレース前の食事にも気をつかってみました。

1週間ほど前からは肉食を中心とし、3日前からはタンパク質を多めに接収。こうするとエネルギーを貯め込みやすいようです。

もちろん今回は、5日前から禁酒も取り入れてみました。

 

レースは土曜日で、前日の金曜日が受付ということだったので、余裕をみて今回は木曜入りとしました。ソロでの車移動500kmだったため、余裕を見ることとしました。もちろんレース終了後、その日に運転で帰ってこれるかどうか分からないため、3泊の計画としました。

 

 Day1:

移動5hを見込んで、朝9時ころに出発。深夜の移動ではないため快適。平日の東名も渋滞なし。

途中、豊川稲荷へ立ち寄って、商売繁盛のではなくレースの完走を懇願。

 

チェックイン予定より早めに宿周辺に到着したため、近くの喫茶店KEEPでおいしいお店(とんかつ屋さん)の情報をGET。

 

 

アットホームな喫茶店で珈琲も美味しかったです。

ホテルの駐車場でBIKEのRIDEから帰ってきた同志と談笑。

メキシコ人のRさん、ナイスガイ。

 

箱根あたりで、トライアスロンのインストラクターをされているそうです。

箱根に来るときは声かけてね!と、いただきました。

 

 

チェックインをすませて部屋には入ろうとしたところで、今度は向いの部屋から女性のMさんが現れて、『ここから当日の移動、どうします!?』と、、、

ということで、喫茶店KEEPで教えていただいたとんかつ屋さんで夕飯を食べながら作戦会議に、、

東京からきたMさんと、メキシコのRさんと一緒に。。

あ、夕飯の前に雨の中、軽くRUNも入れました。

IMG_8558.jpg IMG_8559.jpg

 

 

 

Day2:

アスリートチェックイン、バイクチェックイン、試泳ぎ

チェックインを無事に済ませ、試泳へ。 雨の後で波もあり視界ゼロ、試泳としてはこれ以上の悪条件は無いという感じでした。レース当日は雨は上がる予報だったので何の心配もせず。

タチトラの中島さんとも会えました。

 

もちろん、SHOPで買い物も。。

 

同じホテルに宿泊の、またまた東京から来ていたIさんから、

宿の夕飯が当日予約できるとの情報をGET。

早めの夕食を頂くことができました。ここで4人に増殖。

 

明日は3時起床です。

 

 

Day3:

レース当日、3時起床、4時出発、ボランティアに来ていたSちゃんが入れてくれたモーニング珈琲は最高でした。

ここでまた一人増えました。 アメリカ人のTさん。 今回初ミドルとのことでした。

さあ、みんな、レースもボランティアも頑張ろう!って感じで即席一致団結!

 

スタート前、タチトラジャージを見て声をかけて下さった方がいました。

吉NAS関連の方のようでした、あまりお話できずすみませんでした。

 

 

SWIM:

ちなみに約800人くらいです。

スタート前の試泳は20mほどしかできず、ぶっつけSTARTになりました。

後方からのスタートとしたため、バトルはほぼ無し。

天候も曇りで波も無く、昨日の視界ゼロからは多少視界も改善され、環境はベストコンディションでした。

が、長い、、長い、、長い、、まだか、、まだか、、

で、やっとのこと上陸。

上陸したところで、今朝珈琲を入れてくれたボランティアのSさんから声をかけてもらって、水を渡してもらい、、

おー地元か!?的な気分でちょっと回復。

時間はともかく、SWIMを無事終えたことだけで、GOALした気分。

55:57 

616th

 

T1:

SwimUpからの距離も遠くなく上々。

しかし、BIKEのところに行くと、『えっ?20台くらいしか無い?』と超焦り(^^;

9:09

 

BIKE:

走り始めは、飛ばさないようにと心に決めて来たため、じっと我慢。

周りのペースに合わせて走ってみたものの、どうも、お、お、遅い。。。

ここのペースで走っていたら4hくらいかかるかも?と思い、ガンガンに行くことに。。

90kmあるから、最後の1kで足を休ませればと、なんの根拠も無く。

OS1を2本、アミノバイタル、マグオン、塩タブ、VESPAと接収タイミングは決めてきたので心配は無いはず。

 

さらに今回のBIKEコースは、昨年の伊良湖大会で宿泊したホテル前の道路や、RUNコース、BIKEコースを走るため地元感満載。

 

唯一の上りがきついと言われていた坂も、宿泊したホテルの近くだったので凡その距離感は掴めていた。

そんな感じで、約200人抜き。

 

2回パンクしたことがあると言っていたUさんの話から、念のため替えチューブを2本持って走ったが、Noパンクで完走できました。

あ、Youtube生配信ではちょと写ってました。

 

3:07:09

418th

 

T2:

タイムはそんなに悪くない。

が、BIKEの替えチューブをBackポケットから出し忘れたままRUNスタートへ。

5:02

 

 

RUN:

ほぼ平坦なコースと思っていたが、レース直前に、歩道橋や階段がいくつもあるらしいとの情報。。

さて走り始めたが、やはり早速の足攣りが、、、

最初の1kmは歩いたり走ったり、いろいろ摂取して足攣りが改善するのをとにかくじっと待つことに。。。

徐々に走れるようになり同じペースの人を見つけながら、後を追う作戦で。。

制限時間8hなら半分歩いても大丈夫と、無理やりな安心感をもってただひたすらに、、、

エイドも充実していてメロンやバナナも、もうちょっと味わいたかった。

ゴール会場の声が聞こえてきたときは、やっとここまで来たという達成感が徐々に湧き上がってきました。

最後のストレートに入ったときは、チームのNさんが声をかけてくれたのに気が付かず、すみません。

 

 

とにかく、FINISHした瞬間は

『長かったー、もうやりたくない!』と、、

 

でも10分ほどたつと、『またあの感動を味わいたい』に変わっていました。

2:35:11

 

TOTAL

06:52:25

 61th/ 86(M55-59)

440th/571(by Gender)

488th/641(ALL)

 

 

 

 

レースの後は、荷物を背負ってホテルまでBIKEで自走、約21km。

シャワーを浴びて、アワードパーティー会場へ車で21km戻り。

入賞者以外は会場に入れないとのことなので、おひとりさんを物色し、今回完走したFさんと居酒屋へ。

ノンアルでFさんの海外遠征話や、TTバイクの話などいろいろ伺いました。勉強になります。

 

ホテルに戻り、翌日帰路につきました。

 

今回、大会関係者5~600人、ボランティア1000人、参加者2000人予定のところ約800人だったそうです。

3年間の開催権利があるとのことですので、来年はもっと多くの方が参加できると良いと思います。

 

現地でお会いできた新しい仲間たち。

ともに参加していただいたタチトラの中島さん。

中島さんと連絡を取り合いながらレース状況をチェックしていただいていたN.Iちゃん。

土曜練習でRUN、BIKEの基礎を叩き込んでくれた板垣さん氏田さん。

ともに練習してきてくれたタチトラの皆さん、ありがとうございました。

 

そして、レース当日に入籍した息子おめでとう。

 

 

 

■第14回 館山わかしおトライアスロン大会☆

■館山わかしおトライアスロン☆

2023年5月28日

 

出場者

岡安さん、一政さん、氏田さん、

林さん、  若月一世さん、

横田尚子さん、下川さん、

中塚(レポート)

 

応援

 若月ゆりかさん

 

 

 

 

去年は体調不良で出られなかった、館山わかしおトライアスロン大会。

今回、仲間の後押しもあり、初めてオリンピックディスタンスにエントリーしました。

練習会は出る気にならなかったりして、自主練もたまに。

「完走出来るか分からないし、大会出たくないなあ…。」

大会前に仲間に色々相談をすると、「病気などのイメージを払拭するために頑張っておいで」

とアドバイスをもらい、そうだな、と気持ちが前向きになりました。

 

 

今回タチトラから大会に出たのは8人。

大会当日は曇りで、予報では風速7m。

「バイク大変そうだね」

「波も荒れてるだろうね」

      仲間がそう話していました。

 

バイクで会場に向かい、男子のスタートを見送り、女子は11時30分スタート。

お腹が空くので、エネモチやおにぎりを食べて腹ごしらえしました。

 

 

試泳では水が冷たかったからか心拍が上がり、1.5km泳ぎきれるか不安になりましたが、尚子さんや一政さんがスタート前に声をかけてくださり、リラックスして泳げました。

 

海は澄んでいて、小魚が沢山見られました。仲間は珊瑚もあったねと後で話していました。

 

 

バイクは場所によって風が強く、大変でしたが、尚子さんが

「ギア軽くしてクルクルだよ」

と追い越す時に声を掛けてくださり、何とか9周回れました。(周回数は事前に用意しておいたマスキングテープで間違えないようにしました。)

 

コースには自衛隊の格納庫が3つあり、トップガンや朝ドラの舞あがれを思い出し、テンションが上がりました。

 

ランは走り出してすぐに右足の外反母趾が痛んだので、持ってきていた痛み止めを飲みました。

また、熱中症や足つりが怖かったので、給水所では毎回スポーツドリンクをもらい、たまにひしゃくを持った人に頭に水を掛けてもらいました。

トラジャージの上に重ね履きしていたバイクジャージをトランジッションで脱ぎ忘れていたので、

スタッフに訊ねた所預かってもらえました。

 

そして、

タチトラの仲間達やエイドのスタッフ、

小学生のボランティアに応援してもらい

ながら、

 

何とか10km走り切れました。

 

 

最後はダッシュでゴールしました。

 

 

一政さんと尚子さんと林くんがゴールで待っていてくれました。

 

無事完走出来てとても嬉しく、

一政さんと抱き合い泣いてしまいました。

 

結果は制限時間を15分オーバーでした。

 

またいつかリベンジ出来たらと思います。

 

 

 

タチトラの皆さんいつもありがとうございます。

 

■第32回 新島トライアスロン☆2023

2023年5月20日

新島トライアスロン大会参加して来ました!

 

参戦者  加藤 一輝(かとてる)

     千原 香(ちはらん)

     中込 隆(ごめさん)

     松井みゆき(まついみいき)

     古塩コーチ

     今里 リポ-ト

 

天気 快晴  気温20°位 水温18℃位 

ノースリ-ブウエットで可能 風 超強風 

海水透明度12m位凄く綺麗 

ウエット着用義務

152名参戦 DNF1名 SKIP1名 OPEN1名 DNS24名(高速船start時間に間に合わずかな?)

152名超少ないがコロナで人数絞ったらしいです。

 

 

 

7年前の新島大会が私の、ODデビュー戦でした、

その時はタチトラから軽く10人以上の参加者がいて、

右も左も分からない私に色々おしえてくれたり

色々いじられたりあんなに楽しいレースはなかなか無いですね。

 

 

当日は宮古の達成感強すぎてほぼNO練習でした。

前日輪行袋を電車で担ぐが嫌で、ごめさん、と車で竹芝桟橋迄行き、乗船時間まで浜松町駅そばの、オッサンばかりのホルモン屋で乾杯、出港し再度乾杯、しばらくして、かとてる、たちが横浜港から乗船してきました、そしてまた乾杯。

そしていつの間にか、新島港へ到着、港からswim会場は近くで、沖にブイないねと話してました、そして以前お世話になりました民宿冨八さんのバンで宿に行き、着替え始めたところ、海のうねりが強くswim中止との報告、愕然とし、ウエットスーツを抜いたすかすかのトラバッグを背負いバイクでトランジ会場に向かいました、そしていつものようにバイクラン準備し、

 

暫くし競技説明があり、1stランは2㎞、バイク42㎞、2ndラン10㎞とのことでした。

遂にスタート! 年代別スタート。

新島名物のランスタ-ト直後の超激坂

2㎞だからみんな超速い、登りもキロ5分ちょい、後半の平坦はキロ4.5位の速さ、

そして早くもバイク。

swim無しでラン後バイク!

めちゃめちゃ違和感でした。

 

バイクスタート、ODだからと後先考えずに

最初から全開で踏みまくりました。

でも当日は15M位の強風に終始苦しめられました、TTポジションより更に前傾姿勢で。

中盤位にちはらん、の後ろ5M位につけましたが練習不足と飲み過ぎの影響で両脚ヒラメとハムが攣り気味になりパワ-ダウン、

やがてバイクフィニッシュ、

 

2ndラン10㎞。

そしてまたあの激坂、

両脚攣り寸前で登りはほぼ歩いてしまった。

後半はまともなペ-スで走れゴールテープへ。

 

今回は7年前の自分に勝つ!という目標でしたが、swim無くなり比較にならなかったのと脚攣り寸前ランダメダメ結果は不完全燃焼でした。

 

 

 

後になって目黒トライアスロンの方に聞きましたが海のうねりが強く金曜日昼の段階でswim中止は決まっていたとのことでした。だから土曜日の朝にブイが無かったんだなと、、   

 

帰る日の午前中はせっかく新島に来て海で泳げないのは悔しいから軽くswimし満足しました。

来年の新島は、8年前の自分にぶっちぎりで勝つことを目標に頑張ります!

そして前日はビール少しだけにします...

 

海綺麗で泳ぎやすいですよ。 皆さん新島楽しいですよ!

 

 

■Mt.富士ヒルクライム2023☆ 祝!シルバー獲得!!

 

大会名:第19回Mt.富士ヒルクライム

日時:2023年6月4日

参加者:イケメン和田(レポート)

 

 

今年もMt.富士ヒルクライムに参加してきました。

大会までの自分の状況を少し書かせてください。

 

 

2023年2月中旬、シーズンインを目前に絶好調。

 

FTP(60分間の最大平均パワー)も自分史上最高の状態までに仕上がる。

3月中旬に筋疲労による両足の肉離れが発生。丸半月療養することになる。

復帰後、落ちた筋力、持久力を徐々に怪我前に持って行ったところで、4月下旬にコロナ感染。復帰後、スランプ状態となり自信喪失。

出来れば中止になって欲しいと思う程にモチベ下がりまくりでした。

当初目標設定にしていた、70分切りを諦めシルバーリング獲得の75分切りを目標に設定し、嫌々ながら(笑)現地に向かいました。

今年は、タチトラからは、イケメンこと和田のみの参加です。

 

 

さて、絶不調ながらコンディション位は整えてレースに臨みたいという気持ちはありましたので、レース2日前に塩抜きを実施しました。

詳細は僕のブログを見て頂きたいですが、一切塩分を取りません。それだけで1日で何と、2.5kgも体重を落とせました。

塩分以外は何食べても良く、水分は4リットル位取りましたがこの効果には衝撃を受けました。

 

レース前日は昼から普通の食事に戻し、夕飯にかなりの量のほうとうを頂き炭水化物と食物繊維の補給は完璧でした。

夕飯後は宿泊先の大浴場で60分の温冷交代浴により、浮腫みと毒素が抜けた良い状態に仕上がりました。レース当日の体重は54kgを切りコンディションだけは最高でした。

 

 

レース当日、4時に起きてお握り2個、たまごサンド、味噌汁、コーヒーを頂き会場に向かいました。若干食べ過ぎた気もしましたが、モチベ的には上がってきた感覚です。

 

前回同様に第3ウェーブからのスタートでしたので、先頭はゴールドリング狙いの選手が多いため、ウェーブ中段より後ろからのスタートとしました。

 

スタートをすると、パレード区間はかなり混み合っていて止まってしまう程の渋滞でした。やむを得ず一旦歩道に上がって渋滞がはけるのを待ちました。

これが後で大きく響いてくるとはこの時は微塵も考えていませんでした。

 

暫く選手を見送っているうちに、ブロンズリングのペーサーが現れました。

「しまった!!」と、この時初めてスタートタイミングが遅すぎたことを悟りました。

 

そうなんです。

この位置だとシルバートレインはもういないんです。

気は焦って、兎に角、前に出ようと少し上げながら進んでいきました。

パワーメーターをガン見しながらターゲットのパワーで走っていると、ごぼう抜きで前に進んでいきます。

 

突然、後ろから4人ほどのトレインが進んで来ました。

これは!と思い後ろに付きました。3分程このトレインで走っていましたが、予定より15w位パワーが高いので、今の自分ではこのペースで1時間以上走るのは無理だと思い、再び単独で走ることを決めました。ラップ平均パワーは230wと予定のペースだったので一人で行っても十分間に合うと判断しました。

 

 

■5kmを通過したのでガーミンを見ると、16分40秒。予定より28秒速い。

欲を言うともう少し貯金欲しいところだけど無理は禁物。このまま行こう。

ひたすらごぼう抜きで前に進んでいると、たまに「後ろ付きます!」とか言われてトレイン組めるかな?と思いますが、直ぐに千切れてしまうので結局一人坦々と走りました。

 

■10km通過。

予定より20秒速い32分9秒。まだ問題なさそう。

ただラップパワーが少し落ちてきているのが気がかり。この時で225w位に落ちてたか。

少し疲れは感じていたけどまだボディーバッテリーは半分ありそうな感覚だったし、斜度が緩いところではしっかりとエアロポジションで走れていたので余裕はまだあると思った。

ところが15km通過のタイムを見て焦る。予定より8秒遅れている。

正直これには驚いた。

徐々に高度が上がってきたせいか息苦しくなってきた。

そのせいか、パワーが出ない。気を抜くと200wを切る。

その都度、ポジションの崩れを修正して落ちたパワーを戻していく。

 

今回自分が基準としているタイムは1時間14分ペースなので、シルバー獲得タイムには59秒だけ余裕はある。59秒の遅れなら大丈夫。と自分に言い聞かせる。

が、遅れ始めていて更に疲労も感じ始めていたので不安しかない。

この頃、かなり弱気になり始め、シルバー獲れなかった言い訳が頭の中をグルグルめぐる。

 

そして20kmを経過した時、さらに予定から40秒遅れていた。

 

「あぁ、これは完全にダメなやつだ」

 

心が折れかけて、もはや諦めモードになった時、去年の悔しさが突然蘇った。

悔しくて悔しくて号泣したこと。

そして来年は絶対リベンジすると誓ったこと。

自分に問い返す。

「この1年無駄にするのか?」「何のために苦しい練習してきたのか?」

やっと正気に戻った。

 

 

「よし、死んだつもりで踏もう」

 

そう思った瞬間から前に進むことしか考えられなくなった。

 

「絶対獲る。絶対獲る。」

終盤の緩斜面も踏みまくった。

 

「この緩斜面終わったら最後の登り!」

 

トンネルに入り遠くにゴールが見えた!

ガーミン見ると、残り1分切ってる。

腰を上げて渾身のダンシング。

 

仕掛けたタイミングが早過ぎるとわかってたけど間に合わなくなるくらいならゴール前で倒れてもいいやと思った。

心臓破れそう。前の2人を抜いた時、ゴールに飛び込んでいた。

同時にガーミンを見た。「1:14:43」が目に入った。

 

「間にあったぁ」と思った瞬間全身の力が抜けてバイクの上で一瞬記憶が飛んだ。

全く動けず、息吸いたいけど苦しい。

やっと体に酸素がまわったころ、ジワーと安堵の喜びが湧いてきた。

今年の目標は70分切りだった。

それは達成できなかったけど、去年獲れなかったシルバー獲った喜びの方が大きかった。

 

 

【成績】

年代別順位:96位/1898人 記録:1:14:45(シルバーリング獲得)

平均PW:211w、PWR:3.9w/kg、心拍:161bpm、ケイデンス:78rpm

今年の50代はゴールド獲得者が何と6名!!

世の中には速いおっさんがまだまだいますなー。

自分もまだ諦めてませんので50代でゴールド目標にして練習積んでいきます!

                                       以上

■ULTRA-TRAIL  Mt.FUJI 2023☆

■ UTMF2023☆

2023年4月 21日~23日

参加者:村岡(レポート)

 

 

トライアスロンチームに所属しながら登山ばかりしている村岡です。(笑)

 

今回は、2023年4月21日~23日に開催された、「ULTRA-TRAIL Mt. FUJI」というトレイルランニング大会に出場してきましたのでレポートします。

 

 

【ULTRA-TRAIL Mt. FUJIとは?】

この大会はトレラン(トレイルランニング)をしている人であればおそらく一度は聞いたことがある、日本最大級の100マイルトレイルランニングレースで、距離164km、累積標高約7,000mを制限時間44時間で駆け抜ける大会です。

 

通称「UTMF」と呼ばれていましたが、大人の事情で今年はその呼称は使用できなくなり、160キロカテゴリーは「FUJI」という名称で開催されました。

 

【この大会への思い】

思い返せば2019、初めての100マイルレースとしてUTMFに参加しましたが、115k 地点の忍野で雪の為に中止となり、完走することができませんでした。

その後、コロナや抽選落ちで100マイルレースに挑戦する機会がなく、4年間過ごしてきました。が、久しぶりに本大会のエントリーで抽選が通り、チャレンジすることができました。

 

今回の目標は怪我無しでゴールすること、できれば36時間切りを目標としつつ、

前日まではあまり気負うことなく過ごしてきましたが、前日受付からは急にふつふつと四年前のくやしさが蘇り、意地でもゴールしてやる、という気持ちで挑みました。

 

 

 

【スタート~前半】

 

やはり日本最大級のトレラン大会。

とても賑やかなスタート会場。

仲間も多く出場していたため、記念撮影等で気分も和らぎますが、

スタートと同時にみんなものすごいスピードで飛び出していきました。

 

 

 

 

序盤はとにかく抑えることだけに集中。走れる下りの林道でもキロ7分ペースをイメージし、どうやったらわずかでも楽に走れるかを常に考えながら着地場所やフォームに気を付ける。

トレイルに入ってもペースとコース取りを意識しつつ、下りはブレーキをかけない、でもオーバースピードにならないように。

登りも頑張りすぎない、途中で止まることなく動き続けられる強度を意識して登る。

 

ペース配分については、初めから36時間を意識するとオーバーペースになることはわかっていたので、事前に仲間にもらった42時間のスケジュールを見ながら、可能であれば36時間まで縮めていく作戦。

 

最初の林道区間と富士宮エイドまでは42時間の設定タイムより20分ほど遅れる。でもこれは予定どおり。最初に飛ばしてもメリットは少ない。

その後は少しずつ無理せずに進むことで遅れを回収。

エイドも入る前にやること、食べる量も決めておき迷わず行動、すぐに出る。

ほぼエイドの休憩をしなかったお陰でエイドを出る度に順位が上り、周りのペースが速くなるが、ここでも無理せずにマイペースを決め込む。

 

 

が、天子山塊の下りで、ここ数年は感じたことが無いような膝の痛みが出てき、

少しずつペースも落ち、少し焦りが出てくる。

 

【後半】

何とか膝の痛みを耐えながら富士急ハイランドに到着。

ここまで来たら残り半分。96kmも走ったり歩いたりしたら、どこも痛くない方がおかしい。と謎の理論で痛みを抑え込む。

その後は着々と進み、山中湖きららに到着。

 

   

ここからがキツかった。

 

というかここからが本番。

 

鉄砲木ノ頭と呼ばれる明神山まで、一気に急登を登ると絶景ポイント。 

 

そこからさらに山を縦走しながら高指山へ。

問題はその後の山伏峠。やたらキツい斜度を登らせるし、イメージよりかなり長い。

 

 

 

 

杓子山、噂には聞いていたが、

 

本当に初見殺しの山だった。

 

 

 

詳しくは言わないけど、

 

このレース出るなら一回は登っておいた方がいい。

 

 

なんとか登りきり、念願の山頂に到着。

 

すでに夜になってましたが、

夜景がとても綺麗でした。

 

 

 

 

 

 

 

杓子でかなりの精神的ダメージを負いつつ、なんとか富士吉田到着。

ここで最後の補給を行い、いよいよラスボスの霜山。

これが長い。永遠に続くような代わり映えのしない景色、変わらぬ斜度。

後で調べたら標高差600m以上をダラダラと登る。150km以上走ってきてこれはキツイ。

 

 

序盤から意識していた「登りも頑張りすぎない、途中で止まることなく動き続けられる強度」でここまで進めたが、霜山では少し止まってしまったのは反省ポイント。

 

 

 

でも、ここまで来ればあとはほぼ下り。

 

膝の痛みと力の入らない脚にムチ打って一気に下る。

 

 

そして、

ボロボロになりつつもようやくゴール!!!

 

 

 

 

 

ゴールしてみれば目標タイムよりもさらに1時間以上も速かった。

色々失敗や課題もあったけど、タイムだけ見たら超上出来、

予想もしてなかったタイムでゴールできました。

 

ゴールして思ったのは、やっぱりULTRA-TRAIL Mt. FUJIは日本を代表するレースだということ。

そして、本当にいろんな人たちの想いで作られている。

今回、本当にいろんな人たちに会え、皆さんの応援でゴールすることができました。

 

 

ちなみに、この翌月も100マイルレースに出場予定です。

「トレニックワールド 100mile & 100km in 彩の国」という大会で、

日本屈指の完走難易度と言われる100マイルレース。

こちらもレポート予定したいと思います。

 

 

【リザルト】

34:17:44

総合435位(出走2387人中)

男子389位(出走2055人中)

■ひたちなか タイムトライアルレース☆

祝!優勝! 若月ゆりかさん☆

■ひたちなかタイムトライアルレース

2023年5月2日 

参加者:鬼塚さん、薫さん、若月一世さん(夫)、若月ゆりか (私)(レポート)

(家族で参加です!)

 

ひたちなかタイムトライアル180km(TTバイク)に参加し、5時間13分23秒(ave34.5km/h、175w)で

      女子総合優勝しました!

 

 

基本スタンスとして、"行け行けGOGO!!"でレースに参加するのですが、今回は色々と作戦を練って参加したので、記録として報告させて頂きます。

  

【はじめに】

今回は初めてTTバイクでロードレースに参加しました。バイクはタチトラの長谷川さんから譲り受けたspecializedのshivです。

 

加速、速度の伸びがとても良く、風を切り裂く感じが最高に気持ちいいです。

この場を借りて、改めてお礼申しあげます。

素敵なバイクをありがとうございます!

 

また、飯田さんからprimeのホイールをお借りし、更に乗り心地を良くして参戦しました。

直前のお願いにも拘わらず、快くお貸しいただきありがとうございました!

 

 

【レース概要】

主催はアスロニア。

協賛はゴーゴーカレーと明治で、参加賞は写真の内容です(レース中の写真も無料でもらえます)

このレトルトのゴーゴーカレー、美味しいです。

 

場所は茨城県ひたちなか市にある、自動車安全運転センターの5km周回コース。

高速から降りてすぐ、ネモフィラで有名なひたちなか海浜公園の目の前です。

 

距離は、180km、90km、40kmの3種類あり、距離ごとにTTバイク、ロードバイク(DHバー付き/なし)の3部門に分かれます。

 

参加者のほとんどがトライアスリートです。

レース後は、ランシューに履き替えて走り出す方が多かったです(さすがトライアスリート!)

 

 

 

【トレーニング等】

2月頃からFTP向上を目指し、Zwiftをメインに練習していました。

メニューは和田さんのブログ「いつチャレ」を参考にしています。

結果として、4月にFTPは165wから195w(外乗りではカトテルさんの鬼引きのおかげで220w!)に上がりました。

 

冬場は平日1時間、休日2時間ほどTVer、netflixを見ながら週4くらいで漕いでました。(辛くない?と言われますが、楽しんでいます笑)

 冬場でも暑熱順化するため、暖房をつけ、滝汗をかきながら漕ぎ、Garminの暑熱順応は50%に4月の時点で上がりました...!

 漕ぐ意識もペダルを回す意識ではなく、トルクを回す意識に切り替えたことで、大きい筋肉を使えるようになりました。

 

 

【レース戦略】

・目標タイムについて

5時間10分代を目標としていました。

 

参加者の中には、しろさとTTで私が3位だった時の1位と2位の子たちがいたので、彼女たちの様子を見ながら走ろうと計画していました。

 

・補給について

ドリンクは合計2.5l用意しました。

モルテン500ml、マグオン4本を溶かした水500ml

glico BCAA&クエン酸1l、水500ml(掛水用)

ジェル系は、モルテンジェル白黒各1本、塩熱サプリを用意。

佐渡に向けての実験も含め、普段あまり摂らないマグネシウムとカフェインが入っているドリンク・ジェルを持参しています。(とりあえず200mgずつ...)

エイドは用意されていないので、全て積んで走るか用意されたテーブルに置くかの二択です。

私は全て積んで走りました。

水分量は気温を考慮しています。

当日は25℃(暖房Zwiftと同じ温度!)

目標タイムを約5時間として、私の場合、Zwift開始前後の体重差が1時間当たり800g〜1kgあるので、単純に考えると約5lほど発汗します。

 

 

可能であれば減った分を補充し続けたいですが、量的に無理なので、15分に3口(約60ml)を取る想定で、1.2lが必要と計算しました。(古塩先生のアドバイスが参考です)

 

掛水を含めても2lあれば確実に足りるので、モルテンとBCAAを中心に飲む予定で、マグオンはカフェインが欲しいときに少し飲むという位置づけにしていました。

(実際、1.5lちょいしか使いませんでした)

 

飲む順番も気をつけました。 

モルテンドリンクは水以外の他のドリンクを飲んだ後、30分開けないと効果が薄まるそうなので、(水以外のもので溶かすのもNG)前半モルテンや水で、後半はBCAAをメインに飲みました。

(BCAAにクエン酸も入っているので、疲れに効くことを期待しています◎)

 

 

【レース中】

レースナンバー順(申告タイム順)で5秒おきにローリングスタートします。

 

私は女子5番目くらいにスタート。

マークしていた2人は先にスタートだったので、ありがたい展開でした。

予想通り、5時間切りペース(ave36km/h、8"20/周回)はきつく、5時間10分代なら狙えそうな走りでした。

 

海に近く風が強いので、追い風で強く漕ぎ、向かい風で体を小さくすることをひたすら繰り返します。まるでリアルZwift。

前半で既に頭がおかしくなり、一世を追い越す時、思わず涙が...

「俺もつらいよー!」と言われ、気持ちを切り替えました。(風もきつさも皆同じ!)

 

45〜50km時点あたりで、マークしていた子たちに追いつき、少し動揺して、この周回は最速の8"04/周回をマークしてしまいます...(明らかなオーバーペース)

90km過ぎたところで追いつく想定だったので、風が強いことを再認識しました。

あとはひたすら、鬼さん、薫さん、一世と会うことだけを楽しみにして漕ぎます。

 

 

165kmあたりで気持ちが切れそうになったため、高級ジェル(モルテン、カフェイン入り)を投入しました。

 

そのまま、ひと踏ん張りして、MC不在のためひっそりとゴールし、レースを終了しました。

 

その後、ランニングで足を確認している際に

MCが「女子二人目ゴール!!」と言っているのが聞こえて、優勝を確認し安心しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【レースを終えて】

トライアスロンのレースもそうですが、一緒に参加した仲間が無事に事故なく、ゴールするのを見るとほっとします!今回も全員無事に完走しました。

 

 

苦行のようなレースと言われますが、個人的にはTTポジションでノンストレスな道を走れる最高に楽しいレースだと思っています。

 

 

参加した皆様、お疲れ様でした!

運営・関係者の皆様、ありがとうございました!

興味のある方は是非、参加してみてはいかがでしょうか。

  

 

 

■全日本トライアスロン 宮古島大会☆

泣けた宮古島トライアスロン2023

2023.04.16

 

<参加者(順不同)>

板垣、鬼塚(薫・久司)、小林(リース)、千原、岡本、下田、中里、今里、平泉、若月由、

若月一(報告)

 

<レースコンディション>

気温:26℃(12時時点)

水温:22℃(7時時点)

風速:2.7m/s(12時時点)

完走率:90.3%             

                                  (タチトラは100%!)

 

<はじめに>

宮古島トライアスロン2023、スイム3㎞、バイク123㎞、ラン30㎞を完走してきました。

出場・完走を叶えてくれた、大会関係者を始め、タチトラの皆さん、家族、

何より宮古島に住んでいる方々に感謝の気持ちでいっぱいです

炎天下・高湿度の中、応援・エイド設営・交通規制・誘導に取り組まれる方々の姿に、力と感動を沢山もらい、宮古島トライアスロンが国内最高峰のレースであり、37回の歴史を持っている背景・意味合いを深く感じました。

一人でも多くの人に、宮古トラの魅力を少しでもお伝えできるようレースレポートを残させていただきます。少々お付き合いいただければ幸いです

 

 

<宮古島トライアスロンに参加するにあたって>

●大学時代は競技ダンス部(社交ダンス部)所属、トライアスロンのようなアウトドアスポーツは無縁で、社会人でも会社の付き合いでゴルフをやるくらいで活発には運動はしていませんでした。

が、妻と出会いが転機になりトライアスロンの道にドンドン入っていくことに…

出会った当時は運動をする人だとは思っておらず、「なんか週末に大阪城の周りをいつも走っているな~」から(当時は2人とも大阪勤務)

「一緒に走ろう」⇒「どうせならハーフマラソンに一緒に出てみよう」⇒「そろそろ京都マラソンに出てみよう」⇒「なんだかお義母さんはトライアスリートらしいぞ?由里佳もロードバイク持っているから買ってみるか」と知らず知らずの間にトライアスロンの道に入っていきました(笑)

 

●元々、仕事でもプライベートでも熱いことをやりたい、思わず涙が出るような体験をしたいといった暑苦しい性分で、大学最後の全日本の決勝(競技ダンス部所属でした)で泣けたような体験をもう一度したいと常々思っていました。

 

●そんな中トライアスロンに出会い、「体力も知力も両方とも限界まで使う、一筋縄ではいかないスポーツ」だと思いやることを決意、2021年10月くらいからオリンピックディスタンス(スイム1.5㎞、バイク40㎞、ラン10㎞)に参戦し始めて、2022年にはミドルディスタンス(スイム2㎞、バイク90㎞、ラン20㎞)をヘロヘロになりながら完走しました。

 

●妻側家族の薫さん・鬼さんはロングディスタンスをもちろん完走しているし、妻の由里佳は規格外(佐渡トラで女子7位、今回の宮古トラは女子6位)で、ロングを完走していないのは私だけの状況で

「このままではまずいので何とかしないと…」というある意味異常な精神状態の中、距離が少々短くなった宮古トラを勢いでエントリーしました

●2022年のクリスマスに選考結果が出て、幸運なことに家族4人そろって参加できることになり、

「どうせやるなら、妥協なくやって感動したい、仕事とトライアスロンの二兎を追いたい」と思い、年始から自分なりにトレーニングしてきました

 

<練習~レース前日まで>

●上記の通り大学時代まで競技ダンス部で、長時間体を動かすことは得意ではない私にとって、宮古トラ完走に向けての一番の課題は8~10時間体を動かし続けられる持久力でした

3種目の中では、バイクはそこそこ動けるかなと思っていたものの、スイムは水泳経験殆どなし、ランは走るのがそもそも好きではない、といった感じでしたので、取り組み優先順位はスイム>ラン>バイクと設定。

● とにかく、毎日短時間でも運動をし続け、体を運動に順応させることに重きを置き、妻と自宅のホワイトボードに1週間の練習メニューを書き、可能な限りそれをこなしていきました

振り返ると、思い付きで練習するより、同じ練習を段階的に目標を変えながら行っていくのが、効果的だったと思います。

 

● スイムでは、2月から朝スイムを開始し真っ暗な中、自転車or車を走らせて、朝6時から2000-3000m弱泳ぐのを週2-3回行いました。

この水泳がホント辛くて辛くて、わざと寝坊して時間を短くさせたりもしましたが、結果的に肉体的にも精神的にも効果がかなり高かったです。

寒く・真っ暗な中、朝5時半に家を出てプールに移動しているときは「仕事もあるのに何やってるんだろ…」と思っていましたが、プールには同じ志を持ったトライアスリートが集まり、更衣室でスーツに着替えて仕事に向かう姿を見て、大いに刺激されました。

● ランでは、可能な限り週2-3回は朝に20分強のトレッドミルランニングを行い、週末はミニマム10㎞×2程度を走るようにして、可能であれば20-30㎞を連続で走るようにしていました

ベンチマークとして、30㎞走×1回、マラソン×3回に出場し、中だるみしない様にしていました

 

●  バイクでは、タチトラの日曜練習会に加え、朝ランと交互に朝Zwiftを低強度で回していました

 

 

 

● また、長時間の運動に耐えうる筋持久力の向上と除脂肪のため、週に2-3回のウェイトトレーニングを行いました

 

同時並行して食事制限も行い、可能な限り脂質を抜くことで、除脂肪を進めました

この食事制限も結構きつかったですが、3か月で、178cm 74㎏⇒66㎏強、体脂肪率18%⇒13%まで減少し、

 

フルマラソンベストタイムも3時間49分⇒3時間37分まで向上し、タイムに大いに影響がありました

 

 

<レース当日-レース前>

●3日前の木曜日から宮古島入りを行い、ウェットスーツに慣れる意味で2㎞+1.5㎞くらいを泳ぎ、バイクはコースの下見で60㎞くらい走りました

 

●夜NASメンバー、タチトラメンバーで3日前、2日前は一緒に食べて、前日は食物繊維+糖質を意識的にとって便通改善とカーボローディングをしました(これが結果的に大成功で体感1㎏くらい体重が減りました)

 

● 当日は前日のスコールを感じさせない快晴で、朝は20℃、水温は22℃とベストコンディション、宮古ブルーのきれいな海でした

● 色々と準備を終えて、スイム会場の東急ホテル前の下地与那覇前浜ビーチに整列し後2-3分でスタートという時、思わず涙が出ました

よくここまで来れた、ここまで元気な身体で大きな心配もなく、期待も少し持てる状況で臨めた、さあ成果発表会だ、という想いが一気に押し寄せてきました

まだ始まってもいないのに、自分のやってきたことが報われたような気がして感動してしまいました(笑)

 

 

<レース当日-スイム>

●  元々、リタイアするとしたらスイムだと思っていました

● 1.5㎞×2周回とは言え、3㎞を泳ぐ機会は中々なかったこと、直前の自主練では調子が上がらず500m泳いだだけで疲れてしまったこと等、心配はありました

● 1週間前の自主練で、隣のレーンの鬼さんが、100mインターバルを50分ぶっ続けでやっていたときは恐怖を覚えました…汗

● 一方で当日は海に入ってしまえば、いつもの朝スイムと違って誰にも追い立てられることは無く、気持ちよく泳げばいいだけ。

透明度の高い宮古ブルーの海は泳ぎやすく、少々のバトルはありましたが基本的にはスムーズに1周回目を終了できました。折り返しの時にアナウンスで「上位20%くらいが2周回目に入っています~」とのこと、

「これは中々調子いいのでは?」と思って2周回目に突入。レース前々日くらいにタチトラ水泳コーチの加地さんがアップしてくれた水泳動画を思い出しつつ、ハイエルボーで水を捉えることを意識して2周回目も大きなトラブルなく終了。

● バイクトランジションに戻ってきたときは、かなりの台数のバイクがまだあって、暫定順位は比較的高く安心しました。昨年の加須トライアスロン(ミドル)での「ドベ3」だった雪辱を果たしました(笑)

何より、隣の背番号の由里佳のバイクがあったことが嬉しかったですね(笑)しかし、スイム⇒バイクのトランジションでまごまごしてしまい、後ろからやってきた由里佳にすぐ抜かれてしまうのですが…

● 結果、3,294m/1h5m/1:59(100m)、T1 10m38s(遅い…)

 

<レース当日-バイク>

● 練習時のZwiftで175wで踏めば、出力を継続できると分かっており、基本的にそのワットで淡々と踏むことを意識

ほぼ同時にスタートした由里佳に圧倒的なスピードでどんどん離されますが、気にしない(外れ値のようなもの(笑))

基本的にはバイクは3種目の中で最も偏差値が高いはずなので、自分のペースを守れば順位は上げられるはず

●  バイクコースは本当に景観が素晴らしく、疲れが吹き飛びました。マッチョさんの言う通り、東平安名崎灯台のルートは日本を代表するコースだと思います

アップダウンが多いタフなコースでしたが、体重を減らしていたことでスムーズに走れました。また前々日に一部コースを走っていたことも効果的で、頑張りどころをよく把握できていました

● 加えて、沿道の応援が素晴らしかったです。声をかけていただく度に「ありがとう!」と返していたのですが、ある人から「こちらこそありがとう!」と言っていただき、グッときました…。トライアスロンを通じた温かい心の通いを感じました

● 結果、123㎞/3h46m/32.4km/h、T2 7m56s(これも遅い…)

 

<レース当日-ラン>

● さぁランだ、この日に向けてマラソン3本、30㎞レース1本やってきて、かなり足は仕上がっているはず!と思ったのですが、100m走ったら、両足がつってしまい歩けなくなってしました。まだあと30㎞あると思うと、絶望的な気持ちになりました

バイクの貯金もあるし、ゆっくりストレッチして進むことに。しかし走るとすぐにつってしまい、殆どよちよち歩きに近い形で歩を進めるしかありませんでした

● スローペースであっても宮古島の灼熱・高湿度のコンディションと、コースの起伏でかなり消耗します。エイドの度に止まりながら、次のエイドまで頑張ろう、その次まで頑張ろう、という気持ちで進みました

前回のミドルディスタンスでは完全に足がつって、100m歩くのに30分かかることもあったので、その状況=リタイアになるため、ゆっくりゆっくり歩きました

● だらだらの登り or 急な下りばかりのコースで、隣で歩いていた方に「このコースしんどいですね」と愚痴をこぼしてしまうほどでした

補給も無くなり、道に落ちている補給を拾いながら食いつなぎました(3つほど拾って食べたことをチームメンバーから呆れられましたが、これは地球環境にも配慮した奇策だと思っています)

● 板さんが以前言っていた、早く歩く練習を意識しながら、最後の3-5㎞はほぼ歩きで何とか完走しました

● トレーニングはしていましたが、やはり本番は別世界ですね。完全に筋持久力が足りてなかったです。大腿四頭筋もふくらはぎも膝裏も、なんと腕まで攣り、思わず笑ってしまいました

● 結果、30㎞/3h18m/6:26/km

 

<レース当日-フィニッシュ/フィニッシュ後>

● 8時間34分の長旅から帰ってきて、ゴールテープを切れた時も涙が出ました

タイムは納得いくものではなかったですが、自分がやってきたことが報われたこと、一緒に頑張ってきた仲間の有難さが心に染みわたりました

● また今回、タチトラメンバー全員が完走したことも喜びひとしおで、参戦したチームメンバーと共に、レース後の打ち上げでゆっくりと杯を交わし、各自のレース内容で談義する時間はとても幸せでした

完走した瞬間だけではなく、日々の練習~レース中~アフターレースなど、感動する瞬間がたくさんあるのがトライアスロンの醍醐味なんだと思います

 

 

<おわりに>

● 2023年宮古トラは沢山のハードルを越えて、待望の4年ぶりの開催となりました。トライアスリートとして肌で、宮古島全体がトライアスロンで一色になっていく様を感じました

開催に当たってはいろんな意見があり、島の交通が制限されることの不便さ・経済ダメージも大きいと思います

 

● 一方で、島外から来た1人のトライアスリートとしては、宮古島は思い出深い、大好きな地になりました

島在住の皆さんとの交流、島に集うトライアスリートとの交流など、記録には残せない思い出がたくさんあります

40回・50回…と国内の貴重なロングディスタンスレースとして歴史を刻んでほしいと思います

● 個人として次は、5月の180㎞TT、館山トラOD、9月の佐渡トラLD、11月のアイアンマンフロリダと今年は目白押しですが、宮古でもらった感動を糧に頑張っていこうと思います

最後まで読んでいただきありがとうございました 

若月

 

 

■立川駅伝大会

■2023年1月15日(日)

立川駅伝大会:タチトラ4チーム参加☆

 

雨が降らない日が記録的に続いていた関東地方ですが、大会前日から天候が崩れ、冷たい雨が心配された立川駅伝大会でしたが、タチトラからは4チーム 24名もの選手が出場して、熱いレースを繰り広げました!

 

コロナで3年間も開催が見送られて来たためか、参加チームが減ってしまったように感じました。その影響もあってか、スタート地点が

以前の直線スタートから曲がり角がすぐに来る中継所へ移動して、第1走者は走りづらいだろうと感じました。準備をしてスタート地点付近でストップウォッチをいじっているとあっという間にスタート時間になり、号砲一発!立川駅伝2023が始まりました☆

各チームの第一走者は、毎年、ガチンコ勝負です!コンディション上々のスプリンター飯田さんに、俊足 福ちゃんとカトテルさんが挑みます。

コロナで欠場となってしまった林ちゃんの代わりにカガミンが出場し、Bチームのエース大橋さんへ襷を繋ぎます。

第一走者の勝負は飯田さんが後半スピードを上げて一番最初に戻ってきました。そのあとすぐに福ちゃんとカトテルさんが来ますが、中継所前でカトテルさんが仕掛けます!最後の最後で差し切って1秒差での襷リレーとなりました。

第一走者からすごい展開となり、待機しているメンバーにも緊張が走ります。

このワクワクドキドキが駅伝の面白い所ですね☆

飯田さんからトップで襷を受け取った小林さんが踏ん張る中、4番手で襷を受け取った大橋さんが激走して追いつき、追い越し、大いに盛り上がりました。タチトラ4位に沈んでしまったDチームを救ったのが稲守さんです!そこからまた二人を抜かしてタチトラ2位にまで盛り返しました☆

こんな大逆転があるから駅伝は本当に面白いですね☆

その後も順位の入れ替えが続き、最終的にはタチトラAチームがチーム対抗戦を制し、タチトラチャンピオンとなりました(^ ^)

 

総合でもタチトラAチームは6位に入り、見事入賞となりました。

各チームの力が均等になるようにチーム登録していますから、もしタチトラで速い人だけ集めたチームを作ったら、もっと上位入賞できたと思います。

ですが、やはりチーム対抗戦が面白いですね!みんな苦しい顔の中にも笑顔があり、必死になって襷を渡す瞬間が何よりも素晴らしいと思います☆

今回の駅伝でのタチトラ最速タイムは若月一世さんでした!

が!!奥さんのゆりかさんとのタイム差は、

ナントたったの1秒!!!

恐ろしい夫婦です(笑)

来年の1走はガチンコ夫婦対決か?!など、

新たな楽しみができた立川駅伝2023でした☆

 

熱い熱いレースが終わると同時に雨が降り出し、本当にタチトラはツイているなと思いました☆

伝後は恒例の新年会です☆

フォトグラファーさっちゃんが撮ったばかりの写真を大画面に流しながら、みんなでワイワイ楽しい時間を過ごしました☆ 

チームの着順でみんなが持ち寄ったプレゼントを選んでいきます☆

 

毎年これが盛り上がるんですよねぇ(^ ^)

見た目の大きさの割に中身は小さかったり、逆に小さくても「お!」という物が入っていたり、プレゼント交換会はみんなの笑顔が弾けるんですよね☆

 

 

プレゼント交換会が終わったら、コロナ禍で入会された方やお久しぶりの方の自己紹介なども行い、メンバー同士の交流もグッと深まりました☆

 

コロナと共生する時代になって、やっと日常が戻ってきつつありますね☆

今年もみんなで楽しい思い出を作っていきましょう!

 

最高に楽しい時間をありがとうございました☆

(^ ^)☆

◆タチトラの定期練習会◆

 

■ 立川市トライアスロン協会    スイム練習会 

『後援 公益財団法人日本水泳連盟

(水曜日 20:00~22:00)

立川市 柴崎体育館 

               ロビー集合 (※立川駅よりモノレールで一駅)

  プール使用料 400円

 

■ バイク&ラン練習会

(土曜日 9:30~12:00) 

国営昭和記念公園 立川口自転車入り口集合

  公園入場料 450円

 

■ 日曜練習会 

(日曜日 9:00~ )

※ロングライドや、ランニングイベントをやっています☆

行き先により集合場所・時間が変わります。

詳しくはお問い合わせください(〃'∇'〃)